世界の基準

けたたましい電子音で目を覚ます。
パイプベッドから手を伸ばして、時計の頭を叩いた拍子に申し訳程度腹の上にだけ被さっていたタオルケットがずりおちた。

いつもどおりの朝。

ブラインド越しに眩しい朝日が目を刺した。夏の太陽は朝から快調。

(ああ、今日も暑くなるのかな。つぅか今すでに暑いんだけど)

勢いをつけてベッドから起き上がり、寝汗で背中にはりついて着心地の悪いTシャツを脱ぎ捨てる。
替えのシャツをクローゼットから一枚適当に引っ張り出して着がえ、ハンガーにかけたパーカーと、ドアのそばに立てたテニスバッグを担いで部屋を出た。
リビングで観葉植物(名前何だっけ)が、独りでテレビを見ている。
反対側から聞こえてきた水音は、台所で母親が皿を洗う音。
「はよー」
忙しく流し台とコンロの前を行き来する母親の背中に声をかけて、トースト以外の朝食が準備完了のテーブルの足にバッグを立てかけ、5枚切りのパンを1枚ポップアップ式のトースターに放り込んでから顔を洗いにいく。
まだ少し腫れぼったい瞼を改善しようとあまり冷たくない水を何度かかけている最中、ふと思った。

(…あれ、今日何曜だっけ?)

朝起きて、部活に行って、夕方へろへろで帰ってきて、風呂に入って寝る。
土曜も日曜も関係なく毎日が似たようなものだから、夏休みはどうにも曜日感覚が狂う。
普段は眠いだけの授業も、こういう時には役に立っていたんだなと感心した。

(ええと)

母親に聞くなり、広告を抜きとってキレイに四つに畳まれた新聞を見るなりすればすぐにわかるのだろうけれど、何となく自力で思い出したくてムキになっていた。
昨日はテレビも見ていない。
橘さんが部活に来てくれたのは3日前、だったっけ。

(ええと)

トーストの上でバターが透明にとろけるのを焦点を合せずに見ながら、頭の中の手がかりを探る。けれどどれもこれも決め手に繋がらない。
ぼんやりしていたらコーヒーに牛乳と砂糖を入れるのを忘れて顔を顰める羽目になった。
苦味で目が覚めるのはいいのかもしれないが、ブラックのコーヒーなんか当たり前に飲む人間の気が知れない。エスプレッソ?冗談じゃない。
迷走した思考の所為で頭に浮かんだ顔に眉間の皺を深くしたその時、狙ったかのようにその時に、自分の部屋で携帯が鳴った。パーカーのポケットに入れていたつもりが置き去りだったらしい。
着信音で誰からの電話かわかるから、慌ててとりに走る。

「もしもし!」

携帯が壊れるかというくらいの力でボタンを押して、耳に飛び込んできたのは、いつも通りのふてぶてしい声音。
コーヒーの匂いがした気がしたのは流石に気の迷いだ。

「俺様に二回も電話かけさせるとはいい度胸だなぁ、神尾?」

(げ)

跡部の言葉に耳から携帯を離して着信履歴を確かめようにも、通話中の表示が無情に通話時間を数えるだけ。
そもそもここでその言葉を疑う理由がない。
電話越しの声は別段不機嫌というわけでもなかったが、それはまず間違いなく何か埋め合わせを、と暗に要求しているからだ。

「スミマセンキヅキマセンデシタゴメンナサイ」

ひきつった声で応じると、跡部はそれ以上そこには触れずに(この場合それが怖い)、

「お前、今日部活は」
「・・・昼まで」
「なら12時半だ」

会話すら成り立たないくらい一方的に告げてじゃあなと切ろうとするのをわーとかマテーとかあまり日本語に聞こえない叫びで引きとめた。

「てめぇ、跡部、何勝手に決めてんだよ俺にだって予定が」
「あんのか?」
「ぐ」

馬鹿にした笑いを含んだ質問に言葉を詰める。

「ないデス」
「・・・じゃあな」

電話を切るまでの間は、明らかに笑いをこらえたそれだ。
完璧に負け。
いつものことだから余計に腹が立った。

(大体前会ってから一週間なんの連絡もなかったくせにいきなり呼び出しかよ!)

先週の土曜日も似たような感じで呼び出されて何が面白かったのかよくわからなくなるくらい複雑怪奇なミステリ映画に付き合わされた。
フリップ式の携帯を閉じて、盛大に溜息をついて。
はた、と思い至る。

(・・・今日土曜日だ)

前に跡部と会った日からぴったり一週間。
会ったのは土曜日。
それがわかった瞬間、その場にへたりこみたくなった。
思い出したのは、つき物が落ちたようで普通に嬉しい。
けれど問題はその過程だ。

(・・・・・・・・何でアイツなんだよ・・・・・・・)

よろよろとクローゼットに再び近寄り、私服を上下ワンセット揃えた。
これだけうんざりしていながら、全く逆らえない。
ダイニングに戻り、少し冷めたコーヒーに牛乳と砂糖をめいいっぱいぶちこんで飲み干す。
市販の缶コーヒーにも劣らない甘さになったが苦いよりマシだった。

「行ってきます・・・」

私服二枚を入れただけでなぜか一気に重くなった気がするテニスバッグを担いで出た外は、起きた時の自分の部屋よりさらに暑い。
これから昼にかけて気温は上がる一方なのだろう。

(待たせたら何をされるか・・・!)

心の中にだけ冷風を吹かせて、走り出した。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

ホントは最初「ドキドキ妄想空回りシンドローム(ドキ☆カラ)」ってタイトルでした。
流石に神尾がアホすぎるのでやめました。