パキラ

仰け反って倒れて、頭を打った。毛足の長い絨毯越しに、ごつんとフローリングが鈍い音をたてる。
軽い衝撃が、うしろ頭から目の前へ抜けた。
バーカ、と、余裕たっぷりに跡部は笑った。
だから床の上は厭だって、という(切実な)訴えは当然のごとく流された。

湿った息を暖房で乾いた空気に散らしながらそっと斜め上に目をやると、テーブルの上にさっきまで飲んでいたジュースのガラスコップが見えた。氷が溶けかかって薄い色がついた水が底に溜まっている。
その向こう側にあるはずの跡部のコーヒーカップは想像するだけに留めておいた。
黒いままのコーヒーの、苦味も。


 見ればまた不安になるから。
 見なくても不安だから。


「・・・・・・っ」
骨の上から噛みつかれて、息をつめた。集中しろ、と、いいたいらしい。
曇ってきた視界を閉ざし無意識に空へ伸ばしていた腕をその背にやると、満足げに今自分でつけた痕を舐めた。


 隙間も生まれないようにしがみついていたってちがう。
 カラダつなげていたって、おなじじゃない。


怖い。

 
 違いを認めあえるのが愛だなんて、そんな生易しいものじゃない。
 いつか終わりがくるとしたら、その原料はきっとこの断絶だ。

 跡部は、とおい。


こわい。


けれど最後の瞬間見開いた目に鮮やかにうつった緑が。
今は救いのように、思えた。


■■■


「なー、跡部」
「あ?」

後始末が終わったあとまでべたべたくっついているのは好きではないから、シャツを羽織ってだるい体を起こした。跡部は寝転んで、寝ているわけではないが目を閉じている。
キレイな顔にうっすらと影を作る睫が、ああ長いななどととりとめもないことを思って見つめていたら、見えているはずもないのに何故か「じろじろ見てんな」と制されたので慌てて繕うように尋ねた。

「あれ、いつからあるっけ」

天井を向いていた跡部は「アレ」の指すものが何かわからずに、何だよ、と眉を寄せた。

「あれ、部屋の端っこの、」

窓際の。三つ編みに編んだみたいな幹を途中で切って、四方に枝を伸ばした観葉植物。
その姿かたちに見覚えがあった。
跡部はそちらの方向を見やり、しばらく間を置いて、

「覚えちゃいねぇな、んな前のこと」

そう答えた。
充分な答えだった。

「なーに笑ってんだよ、気味悪ぃな」
「別に、笑ってねえよ」
「笑ってんだよ」

子供の癇癪みたいに言った跡部にせっかく着ていたシャツをまた剥ぎ取られる。
背中痛いんだけど、と文句を言うと、じゃあ上来いよとさっきより手ひどく返された。

けれどもう、テーブルの上のグラスもカップも、怖くはなかった。


■■■


自分の部屋に戻ってきて、机の横を確かめる。
たまに水をやるその木には、置いたときからずっと名前を書いたボール紙のプレートが金のゴム糸で吊るされていた。

Pachira Aquatica

一番日当たりのいい場所に置いてもらっているおかげで冬でもなんとか葉を広げているその木。
ふいに見つけた、小さな、小さな共通のもの。
それは、あの不安を消してしまうには小さすぎるのかもしれないけれど。
けれど、それでもいいと思った。

そっと、その葉に触れる。

目を閉じると、指先だけがまだ、あの部屋にいるような気がした。
触れていなくても、繋がっているような、そんな気がした。



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身分違い、という思い込みは辛いと思います。