*embrace*
目の前にデカいやつがいたら登りたくなる。
理由はない。
そこに山があるからだ、ってやつ?
思いっきりジャンプして背中を借りる。
背が低いやつにも乗ってみるけど、やっぱり高い方が断然おもしろい。
タカさんはがっしりしててなんか安心する。
力持ちだから肩車とかもできるんじゃねーかなって実は最近ねらってる。
乾は高さはあるけど髪がちくちくするから減点。
こないだついでに眼鏡はずしてやろうと思って手を出したら振り落とされた。
今度絶対リベンジしちゃる。
手塚に飛び乗ると低い声で眉間に深ーいシワつくりながらこっちをにらんでくる。
オニだ。
でもそれより本人の前に大石がすごく怒る。
お前の体じゃないだろって言いたくなる。
それなのに大石に飛びつくと、アイツは、大石は、困った顔をする。
怒らないし無理に振りほどこうともしない。
でもすごく困ってる。
背中にくっついたままじゃ顔は見えないけどわかるんだ。
ああ、今大石すごく困ってるって。
最初はそれがおかしくって楽しくって、一日一回は飛びついてた。
けどそのうち大石も他のみんなみたいに慣れて驚かなくなると思ってた。
なのに大石は全然慣れない。
いつも決まったようにおんなじ困った声で俺の名前を呼ぶ。
ずっと同じ反応なら俺も飽きると思ってた。
でもなんでか飽きない。
っていうか悔しいんだ。
手塚に飛びついたらあんなに怒るくせに、自分が飛びつかれたら弱々しい声しか出さないんだ、大石は。
いつか絶対違う声を出させてやるって、負けず嫌いの心に火がついたのかも。
だから今日も背中めがけて助走をつける。
コートのすみっこで手塚と話してる今ならきっとバッチリうまくいく。
……はず、だったのに。
なんで踏み切った瞬間にこっち振り向いちゃうんだよ!
「うわっ!」
「!」
どこがどうぶつかったのか全然わかんないけど、とにかく派手に二人で転んだ。
手のひらが地面に擦れて痛い。
皮がむけてそうなヒリヒリ感がする。
最悪。
でも不思議と他のところはそんなに痛くない。
ぎゅっとつぶった目を開けると、目の前に大石の顔があった。
痛くないのは大石クッションのおかげ……?
「あ、」
ごめん、って、言おうとした瞬間。
突き飛ばされた。
大石に、ドンって、突き飛ばされた。
バランスを崩して横にこけたら、擦りむいた手のひらがまた地面とぶつかる。
でもちっとも痛くなかった。
大石がとうとう怒ったんだ。
……どうしよう。
叱られるんじゃなくて、嫌われるかも。
そう思ったら急に怖くなって体がカチコチに固まった。
地面についたままの手のひらは小石が刺さってるかもしれないけどやっぱり痛くない。
「菊丸、いい加減にしろ」
手塚の声でやっと体が動いた。
隣でしりもちついたまま動かなかった大石も顔を上げて二人で見上げた手塚の顔は今までで一番機嫌が悪そうだった。
「わざわざ怪我をするような真似はするな」
手のひらを広げて見るとひどく擦りむけてて、ラケット握るなんて絶対無理! って感じだった。
「さっさと手当てをしてこい」
声に出して返事する元気もなくって、うなずいて立ち上がった。
大石も慌てて立って俺になにか言おうとする。
聞くのが怖くて一目散に部室まで走った。
大石も追いかけてくる。
やっぱり本気で怒ってるんだ。
ちゃんとあやまらなきゃいけないってわかってるけど、立ち止まれないまま走り続けて部室に飛び込もうとしたら、ドアが開かなかった。
いくらノブを回してもガチャガチャいうだけでびくともしない。
「英二!」
逃げ道がなくなってドアにぴったり背中をつける。
早くあやまりたいのに沈黙の呪文をかけられたみたいに声が出ない。
「部室、鍵がかかってるだろ」
そう言うと大石はジャージのポケットから鍵を取り出した。
「無人にしとくと物騒だから、俺が副部長になってから部活中でも鍵をかけることにしたんだ。だから部室に用があるときは俺に一声掛けるようにって全員に話しただろ?」
そんな話全然覚えてなかったからますます顔が見れなくなって、仕方ないから鍵についてる水色のイルカのキーホルダーをじっと見つめた。
去年の夏休みに俺があげたおみやげをちゃんと使ってくれてる大石。
家族で行った水族館はすっごく楽しくて、今度は大石もつれてこようって思ったのを覚えてる。
大石の手にあわせてゆらゆら揺れるイルカがドアに近づいて、鍵を開けてくれた。
「救急箱は出しておくから、英二は先に手を洗って」
そのまま大石は部室に入っていって、取り残された俺はとぼとぼ水道まで歩いた。
言われた通り手を洗って、重たい足のまま部室に戻る。
水は傷にしみたけど、大石の方が気になって全然それどころじゃなかった。
ドアが開けっ放しなのが見えてドキドキがひどくなる。
もしまだ中で待っててくれてたらちゃんとあやまれるかな。
深呼吸をひとつして覚悟を決めてちょっと走った。
「おかえり」
横に救急箱を置いてベンチに座った大石がこっちを見ていつもみたいに笑った。
それを見たらすごくホッとして、思わず大きく息が漏れた。
ほんとに良かった。
「手、こっちに出して」
大石の隣に座ってよしあやまろうって声を出そうとした瞬間にそんなことを言われて、「ごめん」はまた喉の奥に引っ込んだ。
でも楽しそうにマキロンを取り出す大石を見たらなんかいいやって気分になった。
手のひらを上にして差し出すとマキロンをたっぷり染み込ませた綿をぎゅっと押しつけられて、さっきの水とはレベルの違うしみっぷりにちょっと声が出た。
だけどきっとごめんだけじゃ足りないからこれくらいでちょうどいい。
綿をつまむのにちゃんとピンセットを使うのが大石らしいなあって思ったら、なんだか涙が出そうになった。
「おおいし、」
手のひらに集中していた大石が顔を上げて俺を見るのがわかる。
「ごめん……」
さっきのことも、今までずっとわざと大石を困らせていたことも、全部ぜんぶあやまりたい。
「ほんとにごめん」
今度はしっかり顔を上げてごめんなさいを言う。
大石もじっと俺の目を見て、それからほんのちょっと困った顔をした。
「俺もごめん、英二」
「え?」
「ちょっと驚いたはずみだったんだけど、なにも突き飛ばすことはなかったよな」
ごめんな、って言いながらてきぱきと傷に新しいガーゼを当ててテープでとめる。
そっか、怒ったわけじゃなかったんだ。
そっか、そっかあ……。
「……恥ずかしいんだ」
「え? なにが?」
救急箱に使ったものを片付けながら大石がポツリと言う。
俺は嫌われていなかった喜びを噛みしめていたので急に言われてもよくわからなかった。
「英二に抱きつかれると、なんでか分かんないけどすごく恥ずかしくて……」
マキロンが染みてちっちゃくなった綿を大石が投げる。
ムーンボレーみたいなキレイなカーブで部屋のすみっこのゴミ箱にバッチリ入った。
「……だからいつも困ってたんだけど、さっきは目の前に英二の顔があったからびっくりして……」
ぼーっと聞いてたけど、救急箱にフタをして留め金を下ろす音ではっと気づく。
「いつも恥ずかしいの?」
うなずく大石の耳がちょっとだけ赤い。
「俺は全然恥ずかしくないよ?」
「そりゃ英二はそうだろうけど……」
なんかビミョーに気に入らない言い方だなあ。
「じゃあ早く慣れろよ」
そう文句を言うと大石はおでこを押さえて弱り切った声を出した。
「急には無理だよ……」
はっ、こんな風に困らせたら結局いつもと変わんないじゃん!
ようしここはエキスパートのこの菊丸様が特訓しちゃろう!
「じゃあ今から練習!」
「え?」
うつむいていた大石がこっちを向いたところに抱きついた。
真っ正面から正々堂々とね!
「えっ英二っ!」
びっくりと困ったが半々みたいな慌てた声がおかしい。
でも無理矢理引きはがせないのが大石らしくっていいと思う。
それかもしかしてさっき突き飛ばしたのを気にしたりしてる?
大石の肩にあごを乗っけてしばらくじっとする。
大石の手が俺の肩の上3センチくらいのところで右往左往しててちょっとおもしろい。
さて、そろそろいいかな?
「……もう慣れた?」
「そんなわけないだろ……」
即答かよ!
情けないなあ……。
「もーなんで恥ずかしいかなー? ぎゅってするの楽しいじゃん」
「それはする方は楽しいかもしれないけど……」
そう言いかけてポンと俺の肩に手が置かれた。
え、なになに?
会得した?
「そうだよ英二、交代しよう。そうしたら極意が分かるかもしれないだろ?」
「えー、まあいいけどー」
仕方ない、これも大石のレベルアップのためだ、と思ってあばらの辺りに回していた腕をほどく。
すぐに大石の腕が俺の腰のちょっと上のところに回ってきて、ぎゅうっと力がこもった。
ちょっと思ってもみなかった力でびっくりした。
腕はそのまま置きやすい位置を探して少しずつ動いて、左腕は腰の周り、右腕は手のひらが肩甲骨の辺りで落ち着いた。
っていうか。
どうしよう……。
俺もなんか、恥ずかしーかも……。
よく考えたらいつも飛びつくばっかりで、こんなことされたことないような……。
でもここで俺も恥ずかしいなんて言っちゃったら立場ナイじゃん。
頑張れ俺!
菊丸コーチの余裕を見せちゃれ!
「……どーよ?」
「うん、確かにこれはちょっと楽しいかもな」
すぐ耳元でちょっと浮かれた声がする。
くそう、なんか悔しい……。
「じゃあそのまま練習の続きね」
「え?」
素早く横に下ろしていた両腕を大石の背中に回してしがみついて、負けないくらいの強い力を込める。
大石がまた慌てて俺の名前を呼んだような気がするけど気にしない。
どっちかが降参するまでの真剣勝負。
大石もちゃんとわかっているのか腕は緩まない。
大石の背中をつかんだ手のひらは貼りたてほやほやのガーゼで覆われてるからポロシャツを軽くつかむだけ。
その分腕に力を込める。
時々動いた拍子に頭と頭がコツンとぶつかるとなんだかおかしい。
なんだかちょっとずつ楽しくなってきた。
これならどっちでも大丈夫かも。
「おーいし、どうよ?」
「……悪くないかも」
耳元でこそこそ話すと余計におかしい。
こんなに小さい声でも聞こえるんだっていうのは新しい発見。
まだまだ楽しい秘密がぎゅっと寄せ合った俺たちの体の間に隠れているのかも。
「大石、これからもよろしくね」
「こっちこそよろしくな、英二」
end
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