*柳生比呂士のやさしいフランス語講座*












 決して彼には届かない私のつぶやき。






「ほんじゃの、柳生。アデュー」

「さようなら、仁王君。また明日」




 今思えばあれは試合の高揚感が原因だったのだろうか。
 立海テニス部は部内の試合と言えど常に真剣勝負でハイレベル。
 それゆえの緊張感は普段にはないテンションへ人を連れていく。
 私が最後の一球とするべく全力を注いだショット。
 その時思わず口をついて出た言葉は、人をからかうのには絶好の材料だったようで。



 そんな私が試合中に口走ってしまった言葉を、彼は毎日別れ際に口にする。
 もう日課とでも呼んだ方が良いのかもしれない。
 それは単に私をからかっているだけだとよく分かっている。
 その言葉の本当の意味など、彼は考えたこともないのだろう。





『さようなら。もう二度と会うことはないだろう』





 他意なく毎日告げられる別れの挨拶に抗うように、私は「また明日」と繰り返す。



 いつかは別れが訪れる。附属中学とは言っても高校は普通科と工業科で分かれているし、どのみち大学を卒業したら確実に疎遠になるだろう。
 その前に外部に進学する可能性も決して低くはない。
 気まぐれな彼はいつ、どこに消えてしまうかも分からない。
 事実その心配は学び舎を共にする今でさえ、私の心を苛み続ける。



 今も特別に親しいとは呼べない私達が別れていくのは自明。
 覚悟はできている。
 いや、覚悟をする覚悟はできている、といったら女々しすぎるだろうか。



 常に別れを意識することで一層の切実さを孕む私の思い。
 誰にも悟らせないように振る舞う日常は私だけが理解できる喜劇のようで、演技力だけに磨きがかかる。
 どちらが詐欺師なのか、判らなくなりそうだ。



 もはやどこかが麻痺しているとしか思えない意識が、それでもこの時ばかりは痛みを訴える。



 まだその言葉は聞きたくないと。



 だから今は、アデューではなく。






 オ・ルヴォワール(また今度)。











end





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以上、柳生比呂士君による『AdieuとAu revoirの違い』についての講義でした。
実体験を交えた説明でとてもイメージしやすかったですね!(嘘くさい)

アデューは「永遠のさよなら」です。
乾風に言えば「サラバ!」(ボウリング)。

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仁王がそんな柳生に気づいてわざとやっていると更に萌え。