膝立ちだった海堂が遂に体を支えきれなくなった頃、ようやく乾は海堂を解放した。
甘く息をつく海堂を腕の中に収めたまま今度はそっと抱きしめる。
チラリと見えた海堂の表情はすっかり蕩けてしまっている。
その反応に満足そうに微笑み、乾はほんの少し海堂を抱く手に力を込めた。
その一方で相変わらずドキドキと痛い胸に今までにない甘やかな痛みが加わり、ますますくらくらした頭で海堂はぼんやりと今の出来事を思い返していた。
――もしかして今のが、……キス、ってやつか……? ヤベェ、気持ち良かった……。やっぱくちびるって柔らかいモンなんだな。でも先輩のは何だか、熱かった。乾先輩……。いぬい、せん、ぱい……
一気に正気が戻り海堂は硬直した。
気付けばまだ乾の腕の中である。
恥ずかしいやら腹立たしいやらいろんな感情がごちゃ混ぜになって頭の中を駆け巡る。
とにかく一刻も早くこの状態から逃れたい。
力の抜けた体に喝を入れて捩らせる。
「は、放せよ!」
少し怯んだ乾の腕からなんとか抜け出すと乾とまともに目が合った。
「アンタいきなり何すんだよ!」
「何って、キスだけど?」
悪びれる風もなくいつもの調子で言ってのける乾に一瞬言葉が出ない。
そんな風に平静な態度でいられると騒いでいる自分の方が間違っているような錯覚にさえ襲われる。
がしかし、そんなことはありえねえ、と必死に反論を試みる。
「なっ! 何考えてんだアンタ!」
「言わなかったかな? 誕生日プレゼント」
「ばっ! 何がプレゼントだよ!」
「でも気持ち良さそうだったよ?」
「!」
追い討ちをかけられて海堂はますます言葉を失った。
このまま問い詰めたところで勝ち目はないのは目に見えている。
逃げるが勝ちだ。
「俺もう帰るッス!」
そのまま乾の部屋を飛び出そうとするが、歩幅の違いかあっけなく捕まり背後から抱きしめられる。
「放せ!」
「ダメ。まだ外は雨降ってるし、そんな格好のまま帰るつもりかい? それにまだ服が乾いてないよ」
「くそっ!」
乾の言うことはもっともだが、だからといって素直には従えない。
なおも暴れる海堂を強く抱きしめたまま乾が問いかける。
「そんなに嫌だった?」
何を分かりきったことを、と思いながらもその感情を海堂は遂に自分の中に見つけることが出来なかった。
そんな自分にすっかり途方に暮れていると乾がため息をついた。
「……悪かった。すっかり順番が逆になってしまったな……。海堂、俺は、」
首筋に吐息が落ちた瞬間、海堂は目眩のような感覚に襲われた。
「お前が好きだ」
乾がそう言い切ったとき、海堂は遠いよう近いような意識で、それでもはっきりとその言葉を受けとめていた。
受けとめた言葉はそのままストンと海堂の心の一番深くて柔らかいところ、そしてその柔らかさ故に固い殻に守られているところにいとも簡単に落ちていった。
――ああ、どうしよう。
好きだと言われて初めて恋に気付くなんて――
黙ったままの海堂に乾は更に言葉を重ねる。
「さっき海堂が、戻ってきてくれる方が嬉しいって言ってくれただろ? それが本当に嬉しかったんだ。それで少し箍が外れて……。もう、しないよ。見るのも嫌だったら近づくのもやめる。だから安心しろ」
海堂を強く抱きしめていた腕が緩む。
このまま離れていくのは腕だけではないという確信に満ちた予感が胸をよぎった。
自分の中に芽生えていた気持ちに気付いた矢先に失うなんて耐えられない。
それに何より、海堂は乾を悲しませたくはないのだ。
今度は自分の番。
離れていこうとする腕を捕まえてぶっきらぼうに言い放つ。
「誰が嫌って言ったんスか」
「海堂?」
乾の声が困惑しているのが分かる。
「俺はそんなこと一言も言ってねえ」
「でも」
「アンタ諦めるの早くないッスか?」
掴んだ腕に知らず知らず力がこもる。
背後の乾はいったいどんな顔をしているのか。
「それにああいうことは普通両想いになってからするモンじゃないんスか?」
「……海堂、そんなこと言われると期待しちゃうよ?」
「期待するまでもねえッスよ」
必死の思いで振り返り乾の目を見据える。
恥ずかしさなんて今はどうでも良い。
乾に自分を諦めて欲しくない。
「俺も、アンタが、好きだ」
そう言い切って呆気にとられたような乾の顔を見つめる。
いつもの読めない表情ではない、乾の驚いた顔。
そこに少しづつ新たな感情が見え始める。
少し照れたような笑顔。
「……参ったな。俺だって目を見てなんて言えなかったのに」
じわりと乾の耳の辺りが赤く染まり始める。
そんな変化を隠すように乾は海堂を抱きしめる。
途端海堂から張りつめていた力が抜けた。
気が緩むと同時に恥ずかしさがぶり返してくる。
今顔が見えなくて良かった、と海堂は心底思った。
「雨に感謝しなくちゃな」
ぽつりと乾が言った。
「……むしろ犬だろ」
「傘の恩返しかもしれないな」
かなり本気の声だったので思わず海堂は小さく笑ってしまった。
あの子犬は今頃どうしているだろうか。
今の自分のように温もりを分かち合っていると良いのだけれど。
本当は海堂も乾の背に腕を回して抱きしめ返したかった。
けれどしっかりと抱え込まれて腕が動かせず、代わりに乾のシャツの胸元をぎゅっと握りしめた。
離したくは、ない。
「……先輩、あったかいッスね」
「本当はシャワーじゃなくて俺が暖めてあげても良かったんだけどね」
人肌で、と妙に弾んだ声で返されたのであきれてしまった。
「馬鹿言うな」
「……それとも」
急に乾の声のトーンが下がる。
「もっと熱くなろうか、海堂?」
元々低い声をさらに低めて掠れさせた声で耳元に吹き込まれ、背中に言い様のない感覚が走った。
力が抜けそうになるのをどうにか堪える。
何の事かは分からないがここで反論しておかないと何だか不味いような気がして乾を睨み付けた。
「調子に乗ってんじゃねえ!」
「冗談だよ。いくら何でもまだ早い。俺にも準備ってものがあるしね」
「何のッスか!」
「さあね?」
意味は分からないながらも異様に楽しそうな乾に何となく不穏な匂いを感じて気分が重くなる。
ひょっとしなくても自分はタチの悪い男に惚れてしまったのでは? と海堂が少しばかり遠い目になりかけた時、乾が、あ、と間抜けな声を上げた。
「肝心な事を忘れていたよ」
そう言って肩に埋めていた顔を上げ、今度こそ海堂の目を見つめて言った。
「海堂、誕生日おめでとう」
前言はとりあえず今日は撤回しておくことにして海堂がお礼を言うと、乾の表情が悪戯めいたものに変わった。
「俺からのプレゼント、まだあるから、残さず受け取ってくれる?」
先程のキスを思い出して赤くなった海堂を了承と見なしたのか、乾は海堂の顔を上向かせた。
「今日はキスだけだから」
今日は、という限定が気になったが、それを声に出す前に乾のくちびるに阻まれた。
くちびるの次はまぶた、耳、こめかみ、頬、首筋……目に見える所すべてに及びそうなキスの雨。
柔らかく乾のくちびるが触れる度に生まれる優しい熱。
触れては離れるそのぬくもりにはどうしたって抗えない。
今日一日で随分たくさんの知らなかったことを知ってしまった。
自分のことも、乾のことも。二人でしか知ることが出来ないことも。
そしてきっと、これからも増えていく。
そんな予感が海堂の胸を焦がした。
キスはまだ、終わらない。
end.
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■BACK■
2003年の海堂誕生日本より。
二年経ったし、部数も少ないのでアップしてみました。
自分で書いたくせにタグ打ちながら恥ずかしくて死にそうでした……。
タイトルは自力で思い浮かばずにスピッツに逃げたのが丸わかりですね(苦笑)。
なにはともあれ、海堂お誕生日おめでとう!