*人にやさしく*







 少し言い過ぎたと思ったのだ。



 あのあとそれぞれの部屋に戻り、梶本は黙ったままの切原と静かな夜を迎えた。
 自分が主張した通り梶本は切原のケガの件には触れず、ただ一言おやすみと声を掛けただけだった。
 もう既にベッドに潜り込んでいた切原が小さな声で「おやすみなさいッス」と答えるのを聞いて、ふいに宍戸の声がよみがえる。

 この件を見逃してもらいたがっているのは誰よりも当の切原なのだが、それでもこのままで本当に良いのだろうかと切原の丸まった背中を見ていると先程とは違った考えが浮かび出す。
 自分の主張は間違ってはいなかったと思っている。
 けれど宍戸の言ってたこともまた間違いではないのだろう。
 たとえば階段から落ちたのが神城だったら。
 疑われたのが若人だったら。
 自分は同じことが言えただろうか。

 華村の常に的確な指示に慣れていた梶本は竜崎の放任主義に戸惑いを覚えている。
 それはこの選抜合宿に懸ける意気込みの分だけ焦りを生む。
 もしかすると自分は単にその苛立ちを宍戸にぶつけただけなのではないだろうか。

 寝返りをうって切原に背を向ける。
 明日になったら、宍戸に声を掛けてみようと梶本は思った。
 メンバー内で探り合いなどしていないで練習に打ち込みたいという気持ちは変わらないが、あのとき嫌みを言うのに氷帝の仲間を引き合いに出したのは考えが足りなかったと。
 そのことだけは謝りたい。



 そう思って宍戸の部屋を訪ねたはずだった。



「……」

 黙ったまま棒立ちになった梶本をベッドの上で鳳にのしかかられたままの宍戸は気まずげに見上げてくる。
 鳳も何もしゃべらない。

 何度ノックをして呼んでも返事がなく、且つドアに鍵は掛けられていない。
 ここで心配してドアを開けた自分は果たして責められるべきなのだろうか、と意識の上澄みの辺りがしきりに意味の無い考えを巡らせる。

 結局何も言うことができなかった梶本は、雲の上を歩くような足取りで部屋を出てドアを閉めた。





****





「……見られたな」

「……見られましたね」

 プロレス、お前も混ざるか? とでも言っておけば良かっただろうか。
 いや、ダメだ。プロレスでキスは普通しない。
 くそ、こうなったのもすべて……そう、こいつの堪え性がなかった所為だ。

 宍戸は渾身の力で鳳の腹を蹴り上げた。

「い、痛いですよ……」

 ベッドから落ちた鳳が力なく文句を言う。

「誰の所為だと思ってんだ?」

「……俺です」

 あの真面目そうな梶本がこの部屋を訪ねた理由は大方見当がつく。
 宍戸も、チーム内がギクシャクしているとやりにくいと言いながら、その自分が梶本と言い合いになったことは少し反省している。
 こんな時じゃなければこの訪問は歓迎するところだったのは間違いない。

「……そうだ、お前が見境なく飛びついてくるからあいつに誤解されるようなことになったんだよ!」

 一息で怒鳴った宍戸をじっと見つめた鳳は痛む腹を押さえながら宍戸の前に座り直す。

「誤解なんですか?」

「は?」

 思いがけない返答に宍戸は些か間抜けな声を洩らす。
 鳳はだから……、とじっと宍戸の目を見て続ける。

「俺たちが恋人同士っていうのは、誤解なんですか?」

 鳳の真摯な視線はすべて宍戸に注がれている。
 そういう問題じゃないと突っぱねることを許さない、そんな力がそこにはあった。
 肯定は元よりできない。

 宍戸の返答は長いため息ひとつだった。

「え、あの、宍戸さん、」

 そのままシーツの中に収まってしまった宍戸を見て鳳がうろたえた声を出す。

「もう寝る」

 電気消せ、と命じられ鳳は部屋の照明を落とした。
 先の出来事を後悔しているのか、そのまま自分のベッドに向かう。
 しばらくもそもそと体を動かす音が聞こえていたが、やがてぴたりと止まって宍戸は耳を澄ませた。

 ごめんなさい……、と消え入りそうな声が聞こえる。

「……連帯責任だ」

 明日のことは明日考えようと決めて、宍戸は瞼を閉じた。





****





「……悪かったな」

 翌日の夕食後、出くわすなり有無を言わさず梶本を引っ張っていった宍戸は開口一番そう言った。

「今日うわの空だったのは、その、俺たちの所為だろ? もう合宿三日目だっつーのに、悪い」

 正直な話、鳳と宍戸の関係は神尾と切原の諍い以上に梶本には関係のない話だったが、どうにも心の平安を乱された今日の梶本の不調は顕著だった。
 どう受けとめて良いか分からないこの事態に梶本は混乱し、得意のサーブにもキレが出ない始末でため息だけが増えた。

 黙ったままの梶本を宍戸はじっと見つめている。
 梶本はその視線の居心地の悪さに下を向いた。
 しばらくの沈黙を破ったのはやはり宍戸だった。

「とりあえず俺らのことは気にするな。俺たちもお前に見られたことは気にしない。これでおあいこだろ」

 気にしたくないと誰より望んでいる梶本は宍戸の言葉にまたひとつため息を増やした。
 それができたら苦労はしない、と。
 その呆れた雰囲気が伝わったのか、宍戸は焦ったように言葉を継ぐ。

「こういう場合フツー見られた方が気にするに決まってんだろ!」

 焦りと目撃された恥ずかしさでか、宍戸の顔は赤い。
 お前もいっぺん自分がキスしてるとこ見られてみろってんだ……とぼやきながら間の保たなくなった手が帽子を触る。

「とにかく、お前が俺たちをどう思おうと勝手だけどな、その辺はよく覚えとけ」

 そう言われて初めて、梶本は自分が彼らに対して思ったほど悪感情を抱いていないことに気づいた。
 気持ち悪いとかそういうことより、ただ単純に驚いた、あまりに唐突でびっくりし過ぎていただけなのだと。

「すまなかった。大丈夫、これまで通り普通にするよ」

 ようやく口を開いた梶本に安堵してか、宍戸の肩から力が抜ける。

「……おう」

 一応の決着をみて先程より柔らかい沈黙が落ちる。
 関係を全肯定したことで恥ずかしさが増したのか、宍戸は梶本に背を向けて再び帽子を触りはじめる。
 そのまま立ち去るのかと思っていたが、弄ぶ指先に力がこもったのが見えた。

「うっかり見られて動揺させたのは悪かったと思ってるけど、でも俺たちがやってることは、悪いことじゃないと、思ってる」

 先程までより余程深刻そうな声に、梶本も慎重な答えになる。

「……男同士ってことが、」

「……分かんねえ、けど」

 自分達の気持ちを受けとめつつも、やはりどこか持て余している不安定な二人の姿が梶本の中で誰かと重なる。

「……俺も、よく似た奴を知ってる。……ホモとかじゃないけどな」

 教師に痛いほど本気で恋をしているチームメイト。
 彼は今もミーティング中なのだろうか。

 そっか、と宍戸の小さな声が聞こえた後、パタパタと廊下を走る音が聞こえた。

「宍戸さん……」

「バッカお前は来んなって言っただろ!」

 心配顔の後輩兼恋人に怒鳴りつけた宍戸は既にいつもの雰囲気を纏わせていた。

「でも、」

 それでも引き下がらない鳳の姿は、今はもう微笑ましくさえ見える。

「いい先輩だな。鳳君」

 梶本の言葉にようやく事態を理解した鳳はそっと表情を緩ませた。

「じゃーな。明日はビシッとしろよ。こいつ、お前のサーブ負かすつもりできたんだからよ」

「ああ」

 これはちょっと意地でも負けられない感じだな、と心の中で苦笑いして梶本は二人を見送った。











 梶本が部屋に戻ると、ベッドの上に出しっ放しだった携帯に着信ありを知らせる光が灯っていた。
 履歴に目を走らせてそのままリダイヤルするとすぐに繋がる。

『梶本?』

「ああ。何か用か?」

 すぐに用件に入る梶本に、電話の向こうの若人が笑う気配がする。

『いや、特に用はないんだけどさ。どう、調子は』

 そう言われてみると、こうして若人とゆっくり話すのは久しぶりだと気づく。

「まあまあ、かな」

 今日の不調を省みて控えめな言葉を選ぶ。

『絶好調って言っときなよ、こういうときはさあ』

 ノリの悪い返答に不満を洩らす若人に、残念ながらお前ほど見栄っ張りじゃないからな、と軽口で返すと、少し拗ねたような声が聞こえた。

『竜崎班は梶本お前一人だろ、他の奴らと上手くいってんの?』

 どうやらこれが本題らしい、と相変わらずの気の回し方に何故だかホッとする。
 もしかしたら宍戸との険悪な雰囲気を聞いて心配して電話を寄越したのかもしれない。
 ついさっき見送ったばかりの仲睦まじい二人の姿を頭に浮かべながら、今度こそ実感のこもった声で梶本は親友に答えた。



「絶好調、だよ」











end










■BACK■


アニメの選抜合宿編ネタ。
城成湘南に愛を注いでみたくて書きました。
背景色もそれっぽく。
『梶本貴久の受難』みたいに、バカップル(複数)に振り回されるギャグにするはずが似非シリアスに。
ままならないものだな。