*ラブレター*
「すごいな、本格的だ」
海堂家の笹飾りを見て乾は目を瞠る。
手作りと思われる色とりどりの輪飾りに吹き流し。
色紙の網にはご丁寧に星もちりばめてある。
「先輩の家はしないんスか?」
麦茶をふたつ盆にのせた海堂がキッチンから戻ってくる。
「マンションの最上階じゃ、運ぶだけで一苦労だよ」
それ以前にこんな立派な笹を手に入れられるかどうかが問題だ。
クリスマスツリーも乾の膝までの高さしかない。
少し歪んだ切り口の輪飾りを引っ張るとカサカサと乾いた音がする。
「海堂も作ったのか?」
西瓜の飾りに種を描き込む姿を思い浮かべると、あまりの微笑ましさに頬が緩みかけた。
「はあ、家族全員で」
ぜひ末永く続けてもらいたいと、乾は思った。
海堂は乾の隣に腰を下ろして、今日もらった新しいメニューにもう一度目を通し始める。
テーブルに置かれたグラスの中で氷の触れ合う音が小さく響くのが、実に七夕の夕べにふさわしい。
水滴の浮き始めたグラスに手も付けず、乾はしばらく笹飾りを見つめていた。
「乾くんもお願いごと書いていったら?」
エプロン姿の穂摘の声が静かなリビングに響く。
差し出された数枚の短冊とサインペンを受け取ると、海堂の視線が乾を窺った。
「海堂はなんて書いたんだ?」
予想通りといわんばかりに海堂がため息を落としかけると、同時に穂摘が吹き流しの影に隠れた水色の短冊を指差した。
「薫のはこれよ」
「母さん、」
気にせず短冊を覗き込むと『全国制覇』の四文字が並んでいる。
「……笑うな」
「笑ってないよ」
俺のことでもあるんだから、と締まりのなくなった顔で言い逃れをする。
本当は願い事の内容の所為ではなく、『覇』の文字のたどたどしさが可愛いかったから、なんて言ったら即刻叩き出されるだろう。
これ以上追及されないようにさっさと願い事を書くことにして、乾はソファに座りなおす。
「データをください、とかッスか」
「……叶える方が首をかしげそうだな」
迷った末に乾が書いた願い事は、結局海堂と同じだった。
「二倍になれば叶う確率も上がりそうだろ」
「そんなものッスか?」
紙の色と筆跡だけが違う二枚の短冊が並んで笹の葉に揺れる。
双子みたいねえ、と笑う穂摘につられて、今度こそ乾も声に出して笑った。
「じゃあな、海堂」
「ッス。ありがとうございました」
メニューの手直しをしているうちに時計は六時を大きく回って、穂摘の勧める夕食を辞退した乾は玄関を出た。
今夜あの笹飾りを囲むだろう団欒に笑顔で混ざる覚悟はまだ少し、乾には足りない。
けれど海堂を離すつもりはないのだから、これからはもっと上手くやっていかなくてはならない。
二人を取り巻く世界は広い。
未来を見通して既に覚悟の固まりかけた乾は、しかしまだそれを海堂に悟らせていなかった。
(でも、これくらいはいいよな)
見送りに一緒に外まで出てきた海堂の夏服のシャツが、ようやく暗くなり始めた空の下でぼんやりと白い。
その胸ポケットに乾は折り畳んだ短冊をそっと差し入れた。
「なんスか?」
訝しんで取り出そうとする海堂の手を、胸の上で押さえる。
「海堂、」
言いかけて一度息を継ぐ。
「俺は、織姫と彦星みたいに本末転倒なことは絶対しないよ」
なんのことか咄嗟に察することのできない海堂に微笑んで、乾はその手を解放した。
(こんなこと言ったら、願い事は叶えてもらえないかもしれないな……)
だけど本当は、乾の願いを叶えることができるのは一人しかいない。
「じゃ、また明日な」
我に返った海堂が「はい」と返事をするのを聞いて、小さなしあわせを噛み締める。
くるりと背を向けて乾が歩き出した先には、星の少ない都会の夜空が広がっていた。
「なんなんだ……」
乾が角を曲がって見えなくなるまで見送った海堂は、改めて先程の言葉の意味を考えた。
とりあえず家に入ろうと玄関に踵を返しかけて、胸ポケットがかさりと音を立てる。
(いつのまにもう一枚書いたんだ……?)
ふたつに折られた短冊を広げて、見慣れた文字が綴るもうひとつの願いを見た海堂は、しばらく温い夜風で身体を冷まさなければならなかった。
『海堂とずっと一緒にいられますように』
end
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■BACK■
乾は彦星達のような手抜かりはしないと思うんですよね。
引き離されずにずっと一緒にいるために努力は惜しまない。
ほら、7年後を視野に入れている人ですから。
このあと海堂は短冊の処遇に一晩頭を悩ませてみたり。
手許に置いておかないと誰かに見つかりそうで怖くて、パスケース(10.5参照)に挟んだりしていたら駄目ですか?