*monopoly*
玄関の呼び鈴を押す指が少し緊張している。
こんなこと、今までの僕にあっただろうか?
「いらっしゃい、不二」
「お邪魔します」
タカさんの家に来るのは初めてじゃない。
むしろレギュラーの中で一番人が集まることの多い部屋だと思う。
でも実は僕一人で訪ねるのは今日が初めてだったりする。
みんなが集まりやすい場所だけにいつも大所帯になってしまって、二人きりになる機会がなかったんだ。
玄関から入るのも初めて。
みんなと来るときはついお店の方から上がってしまうから。
引き戸を開けて僕を迎え入れてくれたタカさんが、上がってと僕を先に通してくれる。
上がり口には来客用のスリッパがきちんとこちらに向けて並べられていて、どうしようもなく嬉しい。
「これ、おみやげなんだけど。姉さんの焼いたクッキー」
「ありがとう。なんか悪いなあ」
「そんなことないよ。姉さんはいつも食べきれないくらい焼いて余らせちゃうから、もらってもらえると嬉しいよ」
「そうかな。帰ったらお姉さんにもお礼言っといてくれよ。……あ、」
とても喜んでくれていたタカさんが急に顔色を変える。
「どうしたの」
「クッキーってやっぱり紅茶とかの方が合うかな? 俺んち緑茶しかなくって……」
とても真面目な声だった。
……どうしよう、タカさんはすごく真剣な顔をしているのに和んでしまった。
本当に、こういうところがとても素敵だと思う。
「あ! オレンジジュースならあった! 用意してくるから先に部屋に行っててくれるか?」
「うん」
あのクッキーはとても幸せなクッキーだな、なんて思いながら、もう見慣れた、けれどいつもと違って静かなタカさんの部屋に上がらせてもらう。
スリッパを脱いで襖を閉めると僕一人だけ。
大勢で押し掛けると狭く感じる部屋だけど、今は少し広く感じる。
立って待っているのもなんなので、部屋の隅に積まれた座布団を一枚取って座らせてもらう。
今日は天気がいいからか窓が開いていて、時々カーテン代わりののれんが風に揺れる。
カメラを持ってくればよかった。
きっと見る度に優しい気持ちになれる写真が撮れるはず。
あとで携帯のカメラで撮らせてもらおうかな。
どういうアングルがいいか考えていると廊下からタカさんの声がした。
「不二、襖開けてくれる? 手が塞がってて」
襖を開けると両手でお盆を持ったタカさんが立っている。
グラスにはオレンジジュースがなみなみと注がれていて、不用意に揺らしたら零れてしまいそうだった。
そろそろと部屋に入り、慎重な手つきでちゃぶ台にグラスを置く姿を見ていると顔が笑ってしまう。
この微笑ましさはきっと誰にも真似できない。
その間にタカさんの分の座布団を用意すれば、くつろぐ準備は完璧だ。
「あ、ありがとう」
「ううん。……じゃあ乾杯でもしようか?」
からかうように言ってみたらタカさんは笑って賛成してくれる。
二人でジュースを零さないようにそーっとグラスを持ち上げる。
お互いすごく真剣な顔になってしまって、なんだかおかしい。
でも笑ってしまうと手が揺れてしまうから必死でこらえる。
「何に乾杯しよう?」
「お姉さんのクッキーに、かな」
「じゃあ、クッキーに乾杯」
「乾杯」
グラスを合わせるときもやっぱり慎重で、かすかな音しか響かなかったけれど、僕たちはとても満足した。
一口ジュースを飲んだあとクッキーをつまんだタカさんは美味しいと言って笑った。
僕もひとつ口に運ぶ。
家で何度も何度も味見をさせられて正直食べ飽きているクッキーだけど、とても、美味しかった。
そのまましばらく二人でクッキーを食べながら他愛のない話をする。
玄関先での緊張はいつのまにか緩んでいた。
「今日は何しようか? 不二はやりたいものある?」
「そうだな……、久しぶりにあれやらない?」
「あれ?」
「モノポリー」
タカさんの顔がみるみる赤くなる。そんな反応が嬉しい。
でも決してからかっているわけじゃない。
タカさんの持っているモノポリーは僕たちにとってとても特別なもの。
二人がまだお互いを知らない頃から僕たちを結びつけていたものだから。
「人が悪いよ、不二……」
「だって、タカさん好きでしょ? モノポリー」
一年生の二学期に初めてタカさんの部屋に遊びにきた。
最初に「これやらない?」とタカさんが差し出したのが英語版のモノポリー。
ルールを知らないとごねて大石を慌てさせた英二の横で、僕は懐かしさを覚えていた。
そういえば昔遊んだなって。
その時は結局テレビゲームをすることになって、後日ルールを知っている乾と手塚が揃ったときにようやく箱が開かれ、僕は懐かしさの本当の理由を知った。
ボードに書かれた「しゅうすけ」の文字。
小一のとき家族で参加したフリーマーケット。
あのときモノポリーを買っていった僕の最初のお客さんが、あの男の子がタカさんだったなんて。
「すっげー運命じゃん! もうダブルス組むしかないって!」
そんな風にはしゃぐ英二を後目に、僕たちはこの巡り合わせに静かに感動した。
思えばあのときがタカさんを強く意識した最初の瞬間だったのかもしれない。
だから僕たちにとってこのモノポリーは運命そのもの。
恥ずかしそうにしているタカさんの手を取る。
「せっかく両思いになったんだから、二人っきりで遊びたいんだけど、ダメかな?」
もちろん「二人きりでモノポリー」だからこそタカさんが照れているのは分かってる。
でも、いつか二人だけでこのモノポリーを使いたいってずっと思っていた。
「僕の夢、叶えてくれる?」
タカさんはますます赤くなったけれど、僕の手をぎゅっと握り返してくれた。
うん、と大きく頷いたタカさんにありがとうを言って微笑む。
繋いだ手はちょっと離しがたかったけど、まだまだ時間はたくさんある。
本棚の上に置かれた箱を取ると見慣れたロゴに頬が染まる。
「monopoly」の意味は「独占」。
やっぱりこれって運命じゃない?
今日は一日、僕に君を独占させてね。
end
|