* ISO∞ *
「ねえ皆、ちょっと良いかな」
部活が終わり、皆が一斉に着替え始める。
手塚が旅立って既に数日が経った。
全国行きの切符という重大な約束を背負った部長代理の指揮のもと、土曜日のいつもより長い練習が終わる頃には皆汗だくである。
そんなざわつきと熱気の中、タイミングを見計らって不二はレギュラー達に声を掛けた。
「この前撮った写真が出来たんだ。ほら、朝日を見に行った時の」
そう言ってポケットアルバムを広げると、真っ先に菊丸と桃城が寄ってくる。
「綺麗に撮れてんじゃん。さっすが不二!」
「うん、でも朝はやっぱり昼間より光が足りないからね。外付けのストロボも持ってなかったし、ちょっと絞りを開け過ぎちゃって……」
かなり不服そうな不二に慌てて桃城がフォローを入れる。
「そんな、全然大丈夫ッスよ先輩! 俺なんか写真撮るとすぐブレちゃうんスよ?」
「落ち着きがないからじゃないんスか? 桃先輩」
桃城をからかいながら越前も写真を覗き込む。
「へえ、なかなかッスね」と相変わらずの生意気なコメント付きではあるが、その表情は素直に感心している。
「そりゃねーよ越前!」
「肘が上がってるんじゃない? 脇を締めて撮ると腕が安定するから今度試してみてごらんよ。でも、そうだね、桃の場合は越前の言う通り性格の問題かもね」
「不二先輩まで〜」
情けない表情の桃城をよそに、集まったメンバー達が写真に見入っている。
そんな光景をいつもより少し口角の上がった表情で眺めていると、菊丸の後ろから覗き込むようにして見ていた大石と目が合った。
「結構たくさん撮ったんだな」
「うん、なかなか良い被写体が多くてさ。久しぶりにこんなに撮ったよ。これも大石のおかげだね」
「そうか? 皆を誘った甲斐があったよ」
いきなり「朝日を見に行こう」にはちょっと驚いたけどね、という言葉はご満悦の大石には聞こえなかったらしく、ツーショットに大喜びしている菊丸に引っ張られて行ってしまった。
心の中で呆れて肩を竦めると、集合写真を見ていた河村がぽつりと言った。
「手塚に見せられないのが残念だね」
少し寂しそうな心からのその言葉に、不二の中のさざ波はすっと引いていく。
「うん、ちょっと間に合わなくて。でも今度先生に連絡先を聞いて送ろうかと思ってるんだ。皆のメッセージも一緒にして」
「良いアイディアだね。きっと手塚も喜ぶよ。治療の励みになるんじゃないかな」
旅立った手塚を思ってしんみりした空気が漂う。
手塚が出立してからまだ数日しか経っていなかったが、印画紙の上でも相変わらずの手塚の顔を見るとひどく懐かしい気さえして、知らず皆口をつぐんだ。
そんな雰囲気を振り切って不二が明るく言う。
「気に入った写真があったら焼き増しするから。後でどれが良いか教えて」
「ホントホント? じゃあ俺は〜」
はしゃぎ始めた菊丸達を後目に、乾が声を潜めて不二に話し掛けてきた。
「海堂と一緒に写っているのはないのか?」
「誰が?」
にっこり笑ってさも分からないといった風に聞き返すと、乾は眉をしかめた。
「俺が」
言外に「他に誰がいるんだ」と言っている。
「乾が? ないよ。そんなの撮ったら海堂が可哀想じゃない。集合写真で我慢したらどう?」
「……」
無言になった乾は不服そうな顔をして、今度は「あんなに一緒にいたのに」と表情で語る。
目元が見えない割に雄弁な男だ、と不二は内心で思った。
皆の希望をメモして不二は部室を出る。
今日は河村も一緒だ。
身長に比例した歩幅にも関わらず二人の足並みは揃う。
普段の穏やかな性格に見合ったゆっくりとした足取りで河村は不二の横を歩いている。
「みんな喜んでたね」
「うん。カメラ持って行って良かったよ。いつもはコンパクトカメラだけど、あの時はマニュアルだったからちょっと雰囲気の違うものが撮れたし」
「本当に写真が好きなんだね」
感心したような口振りで河村に言われて、不二はくすぐったいような気持ちで頷いた。
自分に注がれる河村の視線もそのくすぐったさを倍加させる。
「写真のどういう所が楽しい?」
「写真って後に残るよね。綺麗なものって簡単には忘れられないけど、やっぱり鮮やかなまま残しておきたいじゃない。それに、言葉では説明できないものって絶対あると思うんだ。自分の見た感動をそのまま伝えられるのって、凄いことだよね」
思わず熱く語ってしまい、誤摩化すように「でもその為の技術はまだまだなんだけどね」と付け足した。
「そんなことないよ、不二の写真は凄く綺麗だよ! 俺なんか使いきりカメラしか触ったことないし、不二のカメラはもっと難しそうじゃないか」
少々オーバーな身ぶりで主張する河村に、不二は微笑まずにはいられない。
「マニュアルはね。自分でピント合わせたり、いろいろ調節しなきゃいけないからちょっと大変だけど。でもそこが良いんだ」
「なるほどなあ。奥が深いね」
すっかり感心している河村をまぶしく見上げながら、でも、と付け足す。
「奥が深いのはお寿司も同じでしょ、タカさん」
河村は一瞬目を丸くしたあと、眉を更に下げて「それは言えてるなあ」と笑った。
「また今度練習風景とか撮ってあげるよ。手塚にも送ったら楽しいし」
「そうだね」
そのまましばらくドイツでの手塚の話に花を咲かせて歩いていると、コンビニの前で急に河村が立ち止まった。
「ちょっと寄っても良いかな」
「良いよ、ちょうど僕も欲しい物あるし」
開けたままドアを持っていてくれる河村に礼を言ってその横をすり抜ける。
店内に入り文具コーナーでシャープペンシルの芯を手に取ると会計を済ませる。
河村はまだ何か選んでいるようなので、不二は雑誌のラックを見渡し適当な一冊を手に取った。
コラムをひとつ読み終えたところで、白いビニール袋を提げた河村が「おまたせ」と声を掛けてきた。
コンビニを出ると、初夏を過ぎてすっかり夏らしくなった陽射しが二人を照りつけた。
歩きながら「アイスも買えば良かった」と二人で笑う。
「不二、ちょっとそこの公園に寄って行かないか?」
唐突に河村が立ち止まる。
「良いけど、何か用でもあるの?」
「写真を撮ろうと思って」
河村はコンビニの袋から使いきりカメラを取り出してみせた。
メタリックなパッケージが陽射しを受けてきらきらと光る。
「それを選んでたの?」
「うん。でもいろいろ種類があったから、どれが良いか迷ってちゃってさ」
「写真に興味ができちゃった?」
クスッと笑って公園に入る。
自分の好きなことに興味をもってくれた河村が素直に嬉しかった。
適当なベンチを見つけて並んで座る。
日光に晒され続けた緑色のベンチは制服のズボン越しにもその熱を伝えてくる。
「何か上手く撮るコツってある?」
丁寧に包装を破りながら河村が聞く。
「そうだね、脇を締めて、あと足はちょっと開いて安定させると良いよ」
「分かった」
ベンチから立ち上がり、ノブを回してフィルムを巻き上げている河村を眺めて、ふと思い立った疑問を口にする。
「何を撮るの?」
河村の撮りたいものが知りたい。
「不二だよ」
「え?」
河村はやや戸惑った声を出した不二に向かい合う。
ベンチに腰掛けたままの不二は、ますます河村を見上げることになる。
「不二はいつも皆を撮ってばっかりだろ? さっきの写真だって集合写真ぐらいしか写ってなかったし。難しいカメラだと気軽に人にも頼めないのかなって」
「でも、」
「一緒に写れないんじゃやっぱり寂しくない? 不二だけいない写真って、俺はなんだか寂しいんだ」
「タカさん……」
ファインダー越しの皆を見るのはとても楽しいことだけれど、そこに自分の姿を見ることはない。
高価なカメラやフィルムなんて使っていなくても、平凡なアングルでも、プリントされた写真の上に自分を見つけたときの喜びは変わらない。
自分でも気づかなかったそのことに、不二は口をつぐんだ。
「それに……」
「それに?」
更に何か言いかけた河村は一瞬の躊躇の後、思い切ったような顔で続きを口にする。
「さっき不二も言ってたろ、綺麗なものは残しておきたいって」
言ったきり河村は手元のカメラに視線を落として目を合わせようとしない。
小さな使いきりカメラは河村の手にすっぽりと収まって、不二には見えなかった。
日に当たっている肌の外側ではなく、内側の方からじわじわと熱くなっていくのが分かって、不二もまたうつむいた。
ほんの数十秒の沈黙がとても長く感じられる。
言ってしまったことで覚悟が決まったのか、先に顔を上げたのは河村だった。
「じゃあ撮るから、そのまま座ってて。後であっちの噴水の方にも行こう」
いつもの穏やかさで話し掛けられて、不二も顔を上げる。
「何だか恥ずかしいな。いつも撮る方だから」
「普通にしてれば良いよ」
そうは言われても、自分の顔が赤くなっているような気がして仕方がない。
どんな表情になっているかさえ見当が付かず、うろたえたままベンチの端を握りしめた。
小さく深呼吸をして、ゆびさきを緩める。
きっと今の自分は今日の菊丸や乾を笑えないのだろう。
「タカさん、」
数歩後ずさって位置を決めた河村が、カメラを構えながら不二の方を向く。
「なんだい?」
カメラを構えてこちらを見たままの河村と、ファインダー越しに視線が絡んだ気がした。
「……ありがとう」
カシャ。
いつもと違う距離で聞くシャッターの切れる音。
使いきりカメラのそれは、とても軽いものだった。
うん、悪くないね。
仕上がりは見るまでもない。
きっと今までで一番の笑顔。
end
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■BACK■
2003年3月放送の第73話「手塚の決意」(通称・朝日だ!/笑)を下敷きにしています。
古過ぎるネタで申し訳ない。
裏タイトルは「シャッターチャンスは一度だけ!」(笑)。
このあと開き直った不二が自分撮りでツーショットも撮ったらいいなあ…。
*ISOはフィルムや印画紙の感光感度。