*ばらの花*











『雨の日のランニングはナシ』


六月。季節は梅雨。一昨々日から雨が降り続いている。









 手探りで目覚まし時計を止めた途端、頭に響く電子音に遮られていた雨音が耳に飛び込んできた。

「今日も雨、か」

 これで四日目だな、などと独りごちながら布団を抜け出す。
 カーテンを開けると雨の気配が一層濃くなった。
 ガラスに張り付いた雨粒が暗ぼったい梅雨の朝の景色を丸く映し出す。

 人一倍練習熱心なあの後輩は今頃歯噛みしているに違いない。
 いつも以上に顰められた彼の顔を思い浮かべるのは容易かった。

 今日も彼に会えない。けれど。ほんの少しほっとしている自分を知っている。



 ランキング戦で負かされて興味が増した。
 彼のメニューを組むようになって今まで知らなかった表情も垣間見られるようになった。
 表に出にくい彼の機嫌も、もう把握できる。
 そのくらい近づいた。
 ダブルスを組んでからは朝と部活後の自主練だって一緒にしている。
 他人を必要以上に寄せつけない彼にとって、きっとこれは破格の扱いなのだ。

 きっかけは、最初の一歩は彼からだったけれど、そのあと近づいていったのは自分の方だった。
 単純な興味。
 ストイックに、時に痛々しいほどに強さを追い求める彼に対する感嘆にも似た気持ち。
 彼の力になってみたい。
 導くなんて大それたことは出来なくても、彼の行く先を見てみたい。
 自分は意外と後輩想いだったのかもしれない、なんて少し笑った。

 でももう気付いている。
 彼への気持ちが『後輩想い』なんて言う優しい言葉の範疇をとっくに逸脱していることに。
 そしてそれを決して彼に悟らせてはいけないということも。
 よく、解っている。
 それなのに。

 ダブルスを一度断られたときに彼に言った言葉はそのまま自分への言い訳だった。
 ブーメランスネイクを完成させてやりたいのは勿論本当。
 彼に利用価値があったのも本当。
 でもそんな理由とはまた違った次元で渦巻いている気持ちが確かにあった。

 今、家族を除いて彼に一番近いのは自分だと言い切れるところまで来た。
 これ以上は望めない。
 彼が自分を嫌ってはいないから。
 むしろ愛想のない口先とは裏腹の感謝と尊敬を、その強い眼差しから感じるから。
 そこから先には踏み込めない。

 会いたいのに、会いたくない。

 うれしくて、こわくて、鳥肌が立つようだ。



 電気をつけて床やら机やらに散らばったノートの中から今日の授業に必要な分を探し出す。
 ふと机の上のグラスに気が付く。
 飲み干すと、昨日飲みかけたままのジンジャーエールはすっかり気が抜けていた。









 家を出る頃には雨足は幾分か弱まっていた。
 それでも風に煽られた雨粒や足元で跳ね上げた水しぶきが袖や裾を濡らしていく。
 こんなときは自分の長身が疎ましい。
 濡れる面積が多いのは気持ちの良いものではない。
 傘とはあまり効率の良くない代物だ。

 雨の日は視線が俯きがちになる。
 水たまりを避けなければならないというのもあるが、梅雨とは言えさすがに四日目ともなると灰色の空は見ているだけで気が滅入る。
 それでも恨みがましく空を見上げると、電線で曖昧に区切られた相変わらずのモノクロームの空と、カーブミラーに映って歪んだ自分の姿が目に入ってますます気分がへこむ。

 諦めて足元に視線を戻すと今度は庭先の花が目に飛び込んできた。
 灰色の朝に、鮮やかに紅い薔薇の花。
 彩度の差か、そういえば美術の教科書に載っていたな、などと考えながらも少し気持ちが和んだ。
 紅い花びらと濃い緑色の茎と葉。
 鮮烈な色をしていながらも雨に滲んでどこか優しげに見える。
 思わず手を伸ばして触れてみる。
 途端、予想とは違った感触に眉をひそめる。

「綺麗な薔薇には棘がある、ね」

 こんな言葉を実感する日が来るとはね、と自嘲気味に考えながら、唇が歪むのを感じた。

 たとえば女の子にだったら、ガラじゃないと思いつつも薔薇の花束を掲げることだって出来るだろう。
 いや、今問題なのは性別などではないのだ。
 彼が抱いている自分への信頼を失いたくない。
 自分達が築き上げたものを自ら叩き壊すような真似は出来なかった。
 たとえその過程を経なければ自分が本当に望んでいるものが手に入らないとしても。
 

 こんなに好きなのに、触れることもできないなんて。
 

 胸が痛いよ、海堂。






end








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初めて書いたテニプリ小説。
くるりを聞いていたら急に浮かんできて一晩で書いた。
そして今に至る…。