*SHOCK HEARTS*











 まずバンダナを、次いでジャージを脱いで丁寧に畳む。
 桃城を筆頭としたような大雑把な者たちは大抵丸めたままバッグに突っ込んでいるが、海堂はどうにもそれが性に合わない。
 タンクトップも脱ぎ去って几帳面に左右を合わせた所で何気なく乾を見ると、ユニフォームのままノートと顔を突き合わせている。

 自主練、と言えば青学テニス部では二人の部員が名前を挙げられる。
 今日は部活後の無人のコートの使用許可をもらって乾と海堂は練習を重ねていた。
 当然ながら二人が練習を終える頃には部室にはもう誰もいない。
 人の多い所があまり得意でない海堂も二人だけとなると少しばかり気が緩む。

「……まだ着替えてなかったんスか」
 
 急がないと夕日もじきに沈んでしまうだろう。
 少し呆れたように訊ねると乾はノートから顔を上げた。

「ああ、ちょっとデータをまとめていてね」

 そのまま唇の端だけを引き上げてニヤリと笑う。
 海堂は何となく嫌な予感がした。

「……何スか」

「俺と一緒に帰るのがすっかり海堂の中に定着したんだな、と思ってね」

「は?」

「いや、嬉しいよ。胸が高鳴るね」

「何言ってんスか……」

 相手にしていられないとばかりにロッカーに向き直りタンクトップを畳み直す。
 ようやくノートを閉じた乾もロッカーに向かったが、隣に立つ海堂をまじまじと見て服を脱ぐ前にその手を止めた。

「海堂」

 呼ばれて振り向いた海堂の肩を掴んでロッカーに押し付ける。
 剥き出しの背中に硬いロッカーの感触が少し痛い。

「っ何すんスか!」

 慌てる海堂に乾は飄々と言い放つ。

「少し確かめたいことがあってね」

 乾にそう言われれば何かのデータでも採るのだろうという推測がまず成り立つ。
 普通の部員なら皆そう思うだろう。
 だがしかし、恋人である海堂にとってこの男は前科が多過ぎた。
 何度その言葉に騙されたことか。
 胡散臭そうに睨む海堂に乾は苦笑いを浮かべる。

「場所を確かめたいんだ。それだけだよ」

「場所って、何のッスか」

「んー? まあ確かめてからね」

 曖昧に濁しながら乾は海堂の胸の真ん中辺りに手を当てた。

「この辺かな」

 大体の見当を付けたらしい乾は次は少し屈んで唇をその場所に寄せた。

「おい!」

「まあまあ、唇が一番敏感な場所なんだよ」

 そっと唇が押し付けられた所は人によっては谷間と呼ばれるような場所で、海堂は少しばかり複雑な気分になった。

「……男には何もないッスよ」

 柔らかい曲線とは無縁の場所に飽きることなく触れていた乾が、フッと笑ったように息を洩らしたのを肌で感じる。

「あるよ、大事なものが」

 何だよ、と視線で促すと乾は、この辺り、と示した場所を舐めて言った。

「心臓」

 途端に海堂の鼓動が少し跳ね上がる。

「ほら、動いてる」

「ふざけんな……」

 もう離せ、とばかりに乾の頭を押し遣ろうとした手を逆に掴まれて抵抗を封じられる。
 そのまま肌の上で舌先を彷徨わせた後、上目遣いで海堂を見遣った乾が至極真面目な顔をした。

「ここに、痕、つけても良い?」

 至近距離で吹き掛けられた熱い息と何よりその言葉で背筋が震える。
 恐らく耳まで赤くなっているだろう自分の姿を思い浮かべて海堂は低く唸った。

「馬鹿だろ、アンタ……」

 しかし必死の虚勢も相手が乾とあってはスルリとかわされてしまうのが常。
 今回もそれは例に洩れず、次の乾の言葉に海堂は更に赤くならざるを得なかった。

「脈、速いよ?」

 一体誰の所為だと思っているのか。
 いや、分かっているからこその言葉なのだが、海堂は恨みがましく睨み付けることしか出来ない。

「……ホントに分かんのかよ」

 何とか絞り出したその言葉に乾はくすりと笑う。

「確かめてみる?」

 そう言って掴んだままの海堂の右手を自分のポロシャツの下に潜り込ませた。
 未だに運動の余熱が冷め切らない乾の体。
 その胸の真ん中より少し左に手のひらを押し付けられる。

「どう?」

 正直、指先を猛スピードで駆け巡る自分の血液が邪魔をして良く分からない。
 けれどその体温の奥に確かに何かが息づいている。
 錯覚かもしれない。
 いくら真上とはいっても厚い筋肉に覆われた男の胸である。
 しかしその鼓動は余りに正直に乾の今を伝えるもので、海堂を動揺させるには十分だった。

「……速い」

 ボソッと呟いた海堂に満足したように乾が微笑む。

「そりゃドキドキしてるからね。テニスしてる時と海堂と居る時はいつもこんな感じだよ」

 運動による脈拍の上昇。
 理に適ったその一言で片付けてしまえるのに、乾にとってテニスがどれだけ情熱を傾けられるものかを良く知っている海堂にはその言葉は反則以外の何物でもなく。

 思わず力の籠った指先がどちらのものとも言えない汗で滑った。
 そんな感触にさえ海堂は狼狽える。
 せわしなく体内を駆け抜ける血液。
 キリキリと痛むのは果たして心臓だろうか。
 それとも……。

「ああ、また速くなった」

 乾の声で我に返る。
 今度は掴んだ手首の方で脈を取っていたらしい。

「ドキドキし過ぎて心臓マヒっていうのだけは御免だよ?」

 ぬけぬけとそんなことを言う乾に腹が立つ。
 血の巡りすら意のままにされてしまった自分はこれからどうすれば良いというのか。
 畜生、と心の中で毒づきながらも、甘いさざ波が全身を包んでいくのを感じる。

「……壊れたらアンタの所為だ」

 空気が揺れて乾が小さく笑う気配がする。
 俯いた海堂の手を服から出して乾が跪いた。

「責任は取らせてもらうよ……」

 約束する、と付け足しながら再び海堂の胸に唇を寄せた。
 ゆっくりと近付く吐息が唇との距離を教える。
 無意識のカウントダウンが海堂の中で始まった。

――全く、なんて心臓に悪い人だろう。

 カウントゼロが告げられた時、心臓の上に熱い誓約を感じながら海堂はそっとその目を閉じた。








end







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