失恋なるもの

 

あばらを浮かせた身体が微か、震えていた。
「泣いてるか」
「違う、……寒い」
 あてずっぽうに示されたはずの先は、だが月明かりの忍び入る戸の隙間を指している。
 夜半、不躾にも私室を訪れた客人のため、病身の主が部屋に光を灯すよりも先にその痩せた体を組み敷いた高虎である。
 苦く笑ってその戸を閉める前に目をやれば、大儀そうに(大儀なのだろう)体を起こした吉継は確かに泣いてなどいなかった。
 外の明るさを断った室内へ灯りを入れるのも高虎の役目である。元より昼も夜もない暗がりを歩く吉継は、束の間落ちた闇にも構わず懐紙で汚れた内股を拭っていた。
「これで終わりだって言った覚えはないんだけどな」
 その枯れ枝のような手首を掴んで作業を中断させれば、弾かれたように吉継が顔を上げる。目の見えぬ男が、無体を働く高虎が自分の正面ではなく後ろへ回り込んだのだと気づく前に顎を掬い上げて唇を塞いだ。
 いくら舌で湿してもすぐに乾く病人の唇。執拗に弄ってようやく中へ容れられる。吉継の意識がそちらへ向いている間に、後ろから抱え上げた。
 弱々しいいくばくかの抵抗をいなし、高虎は己の放ったものを含んだ場所へ手を伸ばす。間近で、悲鳴を飲み込んだ喉が鳴った。
「なぜ、」
 震える声が問う。うわ言とやり過ごして広げた後穴から、強ばりに押し出された精液が流れる。
 無理に折り曲げさせた足先が衣をかいた。
 病の肌を決して見せぬと重ねられたものを、乱しに乱してしまえば寝具も衣もあるものかと引き散らかした。
 押さえつけてその体を裂く前、吉継はぽつりと「うつしてしまう」と呟いた。もはや用を為さぬはずの眼を滑らかに潤ませ、紅を注した目尻からは涙すら落として。
 そこに脅しや打算はなく、細い吐息と共に肌を滑るのはただ高虎を気遣う色ばかり。
「なぜ、はこっちの台詞だぜ、大谷吉継」
 腕の中の体がいっそう切なく震える場所をかすめて奥へ。指二本でかき回されて、堪らないと細い手が半面を覆う。
「何で俺を気遣う」
「……?」
 強く閉じられていた瞼が上げられ、濁った眼球がころりと高虎の方へ向いた。自分の前髪を掴んだ右手だけ決して離そうとしないのは彼の矜持か。
「あんたは暴漢に襲われたんだろう、何故俺を気遣う?」
 何もわかっていない様子で、吉継の眼が見ていることに、高虎は酷く苛立った。
 吉継が一つ、鋭く鳴く。何か求めるように締めつける中を押し広げながら抜いた指を高虎は乱雑に散らばった布へ擦りつけ、吉継の体を振り落として転がした。
「やめだ」
 続くはずの交媾を予見してわななく体を放り、大きく上下する胸を襟に沿ってなぞれば速い鼓動が骨まで響く。あるいは、自分のそれと共鳴りしているか。
「冗談だよ、中にぶちまけられたままじゃあ後が辛いだろうが」
 わけがわからないと呆然としている吉継の顔を覗き込み、自分で乱した襟をおざなりに整える。あとは互いの精液で汚れた手を洗わないことにはどうにもと、手水を用意させようとして立ち上がる、その高虎の着物の裾を吉継の覚束ない手が取った。
「藤堂……殿」
 油が切れかかっているのか灯が頼りなく揺れた。そのせいで、見上げてくる顔までもが頼りなく儚いものに見える。そんな様に惹かれてため息一つとともに高虎は吉継の前へ屈んだ。
 白布に包まれたままの手が探るように首へ回され、引き寄せられる。したいようにさせていれば結局また二人で床へ倒れこむ格好になった。
「何だよ、」
「……あなたは、何を望まれた。私に」
「……」
 項から耳へ、顎の骨を辿って頬へ、盲人の指先は縋りつくように動き、唇に触れて止まった。
「何を今更……見ての通りだろうに」
 そこから奥底に潜む澱みを掬い出されそうで、高虎は顔を背けた。
 何を望むのか?
 かそけき幻の光に焦がれ、余人には破滅としか見えぬ炎へ向けて飛ぶ病身の蝶を捕らえてこの手へ。それ以外に何があると内へ唱える高虎に、見ての通りとそう言った自分の言葉は何故か、喉へざらついた欠片を残している。
 追ってくる指をとり床へ押し付ける。と、代わりに吉継の目が開いた。
 見えぬ目、というのは恐ろしい。そこにあるのは白く凝った闇だ。
 見えていないはずだと思わせながら、だが見えているのかも知れぬという不安を抱かせる。そんな目で、何を見る。
「泣いているのかと言った」
 向けられる言葉は散り散りになっている。もしか吉継は情事に呆けたままなのではないだろうかと思わせるほど唐突に、先ほどの高虎の言葉を繰り返した。
「何故」
 首を傾げる様は小鳥のような無垢さで、だからこそ寒気がする。知られている気がして。高虎自身も言葉にすることの叶わない、彼に対する望みを。
「……嫌なものだろう、好いた男以外にこんな、」
「だから、泣くのか」
「いや、女じゃあるまいに、とは思うが」
 高虎は弁達者ではある。が、今はまるで口から引いた糸の端を目の前の男に巻き取られているかのようにぼろぼろと、自分でも意味を解せない言葉が落ちてゆく。
 では先ほど彼が唇に触れたのが、呪か。
「私に、好いた男がいると?」
「いるだろう」
「さて、誰のことやら」
 呪いをかけた男は薄明かりの下でもはや笑んでさえいた。乱れ髪を頬へ張りつけ汗と交情の匂いを纏い、欲のまま己を喰らった男へ嫣然と笑みかける。
 吉継は高虎が頭へ浮かべた男の名をすでに知っているのだ。
「藤堂殿は何か、思い違いをしておられる」
 絡まり、手を床へ繋ぎとめている高虎の指を、吉継はするりと握った。
 合図を得たように、笑みの形が変わる。色を孕んだなまめかしいそれから、花もほころぶとろけた笑みへ。高虎と吉継と、互いの頭に浮かべた同じ名が、そうさせたのは疑いようもない。
 高虎は腹が煮えるのを感じた。自然、床へ男を押し付ける手に力が篭る。
「私と彼には何もない。私自身がこのようなことを、彼に望んだことも」
「嘘吐け」
 己の口から零れ落ちた音が、間の抜けた声だ、と高虎は思った。同じように感じたか、吉継が噴出す。「本当だ」と笑った。
「聡いあなたのことだ、疾うに判っておられると思っていたが」
 押し付けられる手は痛いだろうにしきりと笑う様は狂人めいても見えたが、吉継がいたって正気であることを高虎はどこかで知っている。
 弄われていることが我慢ならず、このまま男を放り出してしまえと体を離そうとするがそれも叶わない。掴んでいた腕を自由にした途端、考えられないような素早さで吉継の手が高虎の胸倉を捉えていた。
 保身を考えない動きには分が悪い。反動と体の重みが手伝って、高虎は吉継の薄い胸に鼻先をぶつけて呻いた。吉継自身もひどく咳き込んでいる。だがなお、笑っていた。
「もうひとつ……、貴公は勘違いを」
 まだその咳一つ収まらぬままに、吉継の手が突っ伏した高虎の頭へ載せられた。そこへ篭められる力は先ほど高虎が吉継にかけていたそれなどよりよほど小さく儚く、だが睦む仕草に頭は上げられず、高虎はその速い鼓動を聞いていた。
 ことり、ことりと。その音を聞くたびに己のうちに、灼けた石でも飲み込むような気になりながら。
「私は貴公を無碍にするつもりはない。……貴公に望まれるのならば、と、思いながら、先は」
 吉継が言葉をつむぐ度、その鼓動はするするとおさまってゆく。それは、少なくとも今、彼の言葉に偽りがないことの証。
 冗談ではないと、何故か自分でもまだ知らぬままに、高虎は憤った。言葉で説くことを許さない獣が暴れている。
「嘘を、吐け」
 唸り、男の胸に布越しに歯を立てた。悲鳴混じりに吉継は、嘘などつかないと鳴いた。 胃の腑からこみ上げる怒りのままに再び吉継の腕を振り解きその足を抱え上げ、終いだと伝えた場所を穿とうと、手を伸ばした。
 その途中で目が、あう。
 白い闇が見つめている。途端、高虎は凍りついたように動きを止めた。
 吉継は、それでいいといったのだ。望むなら、受け入れると。それより先には、あの男にはそれを望まないとも、言った。
 それならば想いは繋がったはずだ。
 だがそれでも高虎の胸は灼ける。誤魔化しようのない妬みに、灼ける。
「違う……」
 声を漏らしたのは、光ない眼の上に涙を載せて見つめる男ではない。
(違うのは、)
「俺が欲しいものは、これじゃあない」
 ただ茫洋と向けられていた吉継目が見開かれた。
 指の先からとけていくようだ。そんな自覚の通りに、はたりと力なく、高虎の手は落ちる。同時に脚を床へ落とされた吉継の眦から伝う一筋を、空しく見つめる。
「悪かった」
 うつろに響く言葉に引導を渡された灯火が、じりと悲鳴を上げて消えた。



 高虎の去った室内で、茫洋と吉継は目裏の闇を見つめている。
「……寒い、」
 それがとつと呟いた。聞くものは、誰もない。
 見えはしないが、高虎は駆けるように出て行ったのだ。戸は開け放たれているのだろうと手で探ればやはり隔たりなく、手は冷えた外気に触れる。
 病の身には刺すような冷たさだった。吉継は差し出した手をすぐに引き、己の体で庇う。
「藤堂殿、」
 いない男の名を呼べば、まだ内に残る熱に身が溶けて内側から震える。
 ――戸を、閉めてほしかったわけではないのに。
 人が聞けば、大の男が何を、恋も知らぬ小娘のようなと笑うだろう。そんな他愛ない、けれど切実な望みを、寒いというただ一つの言葉に込めた。だが叶わなかった。
 泣きたいと吉継は思い、思うままに袖を濡らした。
 望まれていないことなど初めからわかっていた。高虎が吉継に望んでいたものは、炎のように燃え立ち、いつか消えゆくことを怯えるような、恋慕の情ではない。
「そこへは、誰も行けぬのだ、藤堂殿。彼をおいて、他には」
 吉継の望むものを高虎が与えてはくれなかったように、高虎の望むものを吉継は与えられない。

(誰ももう一度、私を俗界へ生み落とすことはできない)

 袖も朽ちる涙に暮れながら、だが吉継はその涙の甘さに酔う。
 恋を失う痛みすら、人を生きる証と慶ぶ心。
 それを、死んだ男へ与えたのは。

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(別の話の流れから分岐した部分だけ取ってきたので非常に不親切な話ですが、
高虎と吉継が旧知で、でも吉継さんは殿と往くことを選んでしまって、というのが前提になっていると思ってくだされば)
(もとの話はそのうちちゃんと書きます)
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