たとえば、こんな風なことを考える。
冬の、けれどいつもより暖かい日がいい。
かの地は故郷ではないけれど、私の郷里にはもう誰もいないし、大阪や伏見はきっと騒がしすぎるから、だからできれば敦賀の、海が見えるか見えないか、そんな山間の寺がいい。
壷庭のエンジュの木。
縁起担ぎの庭木に咲く花を、蝶のようだ、だからお前の花だときみは笑った。
今は葉も落ちて裸になった枝から、雪が落ちる音が聞こえる。何せ、暖かい日、だから。
見えないけれど冬の低い日が長く部屋へ射しいって、開いた戸の形に切り取られ、伏した私の体を横切っている。
傍らにきみがいる。
そのとき私はきっと、二目と見られない顔だろうからそんなものは全部白布で覆って隠してしまおう。髪だって、どうせ抜け落ちてしまうのならばその前に全部刈ってしまう。
でもそうだ、目は残しておきたい。
濁った目は私の役には立たないけれど、私がきみを見ていると、きみにわかるように。
雪の匂いがする。
その下へ眠る土の匂いには、春の息吹が混じっている。
迎えられないやさしい季節を想い、懐かしい去年の香りに笑めば、きみはどうしたのかと首を傾げる。
私は布越しに答える。掠れた声で、回らない舌で、それでも出来る限りの力できみに伝える。
きみはきっと怒る。弱気になるなと怒る。
私は笑い、きみは泣く。
手を、とってほしいと願う。
声に出したわけではないのに、何故かきみは私の手をとる。
でも私の願いが伝わったわけではなくて、きみは私の体を抱き起こす。
どこにも力なんて入らないのに、痛みのせいで私の身体は勝手に跳ねて、きみはすまないと謝る。
けれど、放しては、くれない。
背中が痛む。腕も、脚も、きみが触れるところのことごとく。
けれどきみの身体は命を通してとても、とても温かい。
布がじわじわと濡れて頬へはりつき、私はきみの涙がとめどないことを知る。
拭ってやりたくても私の手は動かない。
泣くなといってもきみは泣く。
笑ってほしいと言っても無理だと喚く。
無茶を言っていることを、私の方がわかっている。きみはそんなに器用じゃない。
弱気になるなといいながら、私の刻限を知っているから泣く、きみ。
きみがこんなにも私の死を悲しんでくれている。
逝かないでくれと惜しんでくれる。
その甘い充足と、きみのあたたかい涙に沈んで、私は末期の息を吐く。
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いつか、近い未来私が逝くときには、どうかきみが傍にいてほしいと思っていた。
互いの立場を思うならば難しいことでも、きみならばきっと叶えてくれるだろう、と。
けれどそれは空想に過ぎなくて、あと数えるほど繰り返せば事足りる私の呼吸に満ちるのは、
鉄と泥と血の匂いばかり。
私の耳に届くのはきみの声ではなく、剣戟と怒号。
でも、いいのだ、これで。
本当は。
きみの言葉と涙に充たされた命の終わりを、必ずしも望んではいなかった。
そんな終わりも、よかったけれど。
命のひとひらが吹き散らされて尽きるまで、ただきみを思い、きみを感じ、生きる。
それだけの望み。
(叶ったろうか)
そんなこと、問うまでもなかった。
きみが好きです、私の大切な友人。
ありがとう。
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(吉継さんのことを考えているとどうしても、死ぬまで生きるってどういうことかしらとそういう考えても仕方ないことを考えます)
(あの最期の生ききった感はどこからくるんだろうとか)
(前向きに死に臨むというのは)
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