春たつ

 

 藤堂高虎が、あの戦で死んだ友人の墓をたてたと聞いたのは件の戦から随分と経ってからのことだ。
 運んできたのは、やはり戦のあとに別れたはずの、たまきである。
好きに生きると言ってはなれた彼女は、どこで何をしていたものやら突然また姿をあらわし、出会い頭に「じっとしてるから老けたんじゃない?」などと随分な挨拶で三成を殴りつけたあとで、真顔に戻ってその話をした。三成の表情を探っていることを隠そうとしない目だった。
「ありがたい話だな」
 一瞬、話の飛躍についていけていなかった三成はしばらく考えたあとで、言葉を選んだ。
それが本心の半分くらいの言葉であると、たまきは気づいたろう。じっと見つめる目をさらにまっすぐにして、それから苦い苦い笑顔で、「そうだね」と言った。
 彼女の父親が似た顔で笑うのを、三成は見たことがあった。決まって、彼女の話をしたときだった。その男も戦のあとの行方は知れない。知れないが世間では死んだものとして、彼はその勇猛さ、義侠心を称えられている。隠棲している三成ですら知っているのだから、たまきの耳に入らぬはずがない。
 戦で死んだ二人の面影を重ねて、彼女は同じことを思っていると三成は感じた。
 己の心に棲む人を、遠い誰かも悼んでいる、そのことに謝する気持ちは決して嘘ではないが、それがすべてでもない。けれど言葉に余った半分を表すことが三成にはできなかった。哀しいような気もした。悔しいような気もした。ただただ、寂しいような気もした。
 彼女の苦い笑顔と、三成の言葉はきっと、同じ源から出るものだと思う。
 その証拠に、同じ溜息をつき、暫く黙したあとで、顔をあげた三成の脳裏によぎった考えさえもたまきは読み取ってみせた。
 察してくれている。思うことは重なっている。その安堵が背中を押して、三成は呟いた。
「行きたいな」
 たまきは、「バカだね」と言った。
 いつか何度も聞いたその言葉は、いつも制止の言葉ではなかった。
 


 久しぶりの遠出は、思っていたよりもずっと平和なものだった。たまきがどこからか調達してきた衣でもって僧形に身をやつした三成である。
 たまきですら自分で持ってきておいて似合わない、これは駄目かもと涙が出るほど笑ったというのに、いくつか越えた関では深編笠を取れとさえ言われなかった。
「誰かついてきてるね」
 代わりに、街道脇の木々の合間を見てたまきが言った。旅装束の娘と僧が連れ立って歩くのでは悪目立ちするので、立ち寄った峠茶屋でのことである。雨が降りそうですね、と問うのと同じさりげなさを装うのがあまり得意でない三成は、黙って頷いた。
「ずっといるんだね」
 俄かにたまきは表情を曇らせ、その迂闊さを自ら責めるようにして先に立ち上がった。
「何もしないさ」
「……知ってるよ!」
 駆けていく背を見送り、二人分の茶代を置いて歩き出す。
 たまきと違い、その気配をしかと感じることはできずとも、何者かの監視の目に三成は気づいていた。ずいぶん前……それこそ、山中に庵を結び移り住んで、すぐ。
 世から消えたふりをしたところで俗世の陽はひとしく降り陰を伸ばすのだ。それこそ、本当に墨染の衣で身を包んだとしても。
 だが、そんな監視の目がかえって三成には都合がよかった。訪ねくるもののない生活は侘しいものだったが、寄ってくるのが陰ばかりならばそれも来ないほうがいい。
 それに今、道中が平和なのはこの目があるからだろうと推測している。目は三成の行動を束縛することはしない。侮りとも取れる寛容さでただ見ているだけだ。
「……墓参りに行くだけだからな」
 呟き辺りを見回すも、辺りにあるのは葉を落とした樹ばかりだった。


 遅いよ、と、たまきは笑った。路端の石に腰を下ろしている。もはやそこは路、と呼べるような場所ではない。が、確かに人が通った跡があった。
 息が切れていた。相変わらずだね、と呆れ声。相変わらずどころかひどくなっている。確かにそこは山道だったが、登るというほどのものでもない。
「一人でいく?」
 たまきが路の奥を指差した。
 ここは、冬の終わり、街道沿いには春の気配近づく今日になってもまだ雪が残っている。冬枯れの木々の合間を見透かせば、頬に触れる風はまだ冷たい。空はうす雲に覆われ、陽の光を散らしてどこかから雪の景色になじんだ。
「いや、ついてきてくれないか」
 会うのであれば、一人で行きたかった。ただ、何か違うとも思った。
 笠を取り、見上げるたまきの前を行過ぎれば、物言わず立ち上がりついてくる気配がある。
 思ったとおりに、それを目の前にしてもこれがそうだという実感はひとしずくも湧いてこない。
 ま新しい墓石は、雪と木々の間にしんと佇んでいた。こんなところへそうそう訪れるものもないのだろう、施された雪化粧がまるで友人がかつて纏っていた衣のようだと思い、ようやくその石に篭められた思いを理解する。
 と、ぼうと立っている三成の背を追い越して、たまきが墓石の前へかがみ、手を合わせた。それにつられて三成はしゃがみこみ、同じように合掌する。だが頭の中は白いままで、子が親の仕種をまねているだけだと三成は自分で思った。
 逢いたいと思ってここまで、歩いてきた。だが、ここにいるのは本当に、自分が逢いたかった彼か。物言わぬ人に、それでも語りかけようと考えてきた言葉のひとつも今、浮かんでこないのはなぜだ。
 そんなことばかりが渦巻く頭で何をしているつもりなのだと。
 どのくらいそうしていたか。気づき顔を上げれば、たまきはいつの間にか退がり今度は切り株に片膝を抱えて座って、三成を見ていた。
「どうしたの?」
 問う少女がじっと見つめてくる。かつてと同じ、答えを促す眼差しで。
「違うんだ、」
 その目から逃げるようにして墓石に向き直り、そこへ積もった雪を払う。手套ごしに伝わる雪の冷たさと、たまきから問いの返らないことがかえってばねになり、煩悶に沈むばかりだった三成に前を向かせる。
「俺は、この墓に手を合わせたかったわけでは、なくて」
ただ、彼を悼みたくて、と、言葉にしかかり、ふと三成は口を噤んだ。躊躇ったのではなくて、何か、そう「何か」としか表現できなあいまいなものが、ふいに視界の隅に揺れたのだ。
 たまきは変わらず後ろの切り株に座り、唐突に言葉を切った三成を怪訝そうに眺めている。
 例の監視かと言えば、三成に居場所を気づかれるような様を晒したことはない。
 が、そんなことを考えの範疇に入れる前に三成は駆けていた。
「殿!?」
たまきの声が追いかけてくる。
 駆けるといってもものの数歩である。墓石の裏側に立つ欅の蔭、そこに「誰か」いた気がした。
 むろん、追ってきてみれば誰もない。
 冬枯れの樹が、黒々した枝をそれでも天へ伸ばしているのみである。足元では朽葉が土へ還ろうとしている。それだけだ。
 けれど。
「びっくりするじゃない……」
 後を追ってきたたまきにすまない、と頭を下げてから、三成はもう一度木へ振り返り、その枝の軌跡を追って空を見上げた。
「そういえば、あいつは、吉継は、木の傍が好きだった気がする」
「え?」
 唐突な追慕を呼ぶものがそこにあった。枝の向うへ見晴かした天で雲が割れて青が覗き、曖昧に散らされていた陽の欠片が直に目に落ちてくる。眩さに目を眇めれば、薄い瞼にふれる、ひかりの温かさ。
「屋敷に訪ねていくとな、たまに寝ているんだ。庭木の下で」
 そして、寝ていたのかと聞くと寝てなどないと言う。そのたび、三成は嘘を吐け、絶対に寝ていたと思った。声をかけても気づかないこともあったのだ。けれど吉継は決して認めようとしなかったし、食い下がるようなことでもなかったのでいつからか聞かなくなった。
「そこにいると、光が見えるんだとかで、」
 葉擦れの音と、今三成の頬へも触れる温度で、降る光の形がわかるのだと言った。それを感じながらものを考えると、不思議とよい考えが浮かぶ、とも。
「俺はそうなのかと言いながらそれほど信じていなかったが、嘘ではなかったんだな」
 三成が真剣に語るので、感化されたのかたまきも瞼を落として天を仰いでいる。薄く開いた目でその様子を見た三成は、首をめぐらせて隣に立つ人の姿に笑む。見つめてしまえば滲んで消えてしまう儚い姿で、まぼろしの人はそこへ立っている。
「だが、俺には他にも見えるものがあるぞ」
 たまきに語りかけるふりをしておいて、その手をとる。確固たる形はもたない、けれど確かに触れている。涙すら導く温もり、光の描き出すなつかしいかたちに。
「春が降りてくる、今ここへ」
 滲んだ視界で、まぼろしの人が穏やかに笑んだ。
 ああやはり、『ここ』に彼は棲んでいると、三成は思った。

「藤堂殿は、吉継の終の場所を知っていたのかもしれない」
 みっともなく泣いている。
 ごまかそうとして三成は口を開いたが、しゃくり上げてしまっては意味がない。
「どうして?」
 すぐに止めばいいものをいつまでもそうしていたものだから初めはじっと待っていたたまきも呆れ顔である。
「何となく、だが……知っていたから、ここへ墓を建てたんじゃないかと思う」
「じゃあもしかしたらここにいるかもしれないってこと?」
「本当のところはどうかわからないけどな、まさか藤堂殿に聞くわけにもいかない」
 ようやく収まってきた涙を拭い、目の前の樹をもう一度見る。黒い木肌に、僅かに芽吹きの気配があった。枝に載るささやかな萌黄の色は、よく目を凝らせば縫うように細い枝先までも広がっている。
「それでもお墓に手は合わせないの?」
「違うって言ったろう。ここにあいつを葬ったのは藤堂殿だ。俺の弔いたい相手は、ここにはいない」
「じゃあ何しに来たの、」
「あいつがここにはいないことを確かめに……違うな、あいつがここにいることを確かめに、」
 胸元へやった手に、春の気配がうつる。
 微かな息吹を庇うように、三成は拳を握った。
「変な顔をするなよ、真面目に言ってるんだ」
「真面目に言ってそうだから変な顔してるの」
 恥ずかしくないのかと真っ向から問われれば、陳腐さが気恥ずかしい思想ではある。
 けれどそれは紛いない実感でもあった。
「俺に、あいつの墓標は必要ないんだ」

 春立つによせても、面影は傍らに立ち。
 そのまぼろしにふれ、彼がまぼろしでしかないことを悲しむ。
 夏が薫る頃も、秋の実る頃も、冬に眠るときも。
 それが、弔いである、と。

 けしてお前を忘れまいと極めた三成は、骸の代わりに遺された想いをただ、抱いている。

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(三成さんと吉継さんで千の風になって、笑)
(一部、好きな詩集から言葉を借用しています(勿論そのままではありません))
(ところで私的理想のエンディングははつENDかつ、たまちゃんが時折遊びに来るようなのです)
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