歩み
H2.1.18たった一人結婚もせずに娘を出産した。
医者から沢山の心臓病があると伝えられ、娘が助かるには心臓移植しかないとも・・・・
生んだその日に娘だけ、未熟児と心臓病の子供の専門の病院に転送される。
そんな娘も治療によって沢山の心臓病(主に合併症)がなくなり、心臓移植をしなくても大丈夫な状態になった。
しかし、2年間薬付け、生活にも制限を掛けられてスクスク成長するどころか、食事制限などでさほど大きくならなかった。
3つにもなると、普通の子とかなり違う事が多くなってきた。
まだ体が小さいうちは、首が据わらない、歩かないなどあったか「小さいから、そのうちにできるようになる」と
言われ、実際遅いながらも出切るようになっていた。
しかし、物の名前を言わない、数の観念がないと悩み、色々な病院を訪ね歩いた。
今だとすぐさま情報を得られる時代なのかもしれないが15年前は「そのうち追いつく」とはっきりとは言わないのだ。
自分の子供だけが何故とかなり落ち込んで毎日「死」というのもを考えていた。
そんな戸惑いの中、小学校にあがるということで医者が「知的障害」という判断をやっといってくれた。
なんだか変な話、やっと肩の荷が下りたような・・・はっきりと病名?を言われ目標が見えたというか。
すがすがしい気分だった事を思い出します。
小学校に上がる前、教育委員の方がわざわざ我が家にやってきた
「まさか、娘さんを普通の学校に入れませんよね?」
・・・・・・しょっぱなからこんな差別的な事を堂々といってきたのだ。
実際、自分は養護学校に通わせようと思い、事前に見学に行ったりしていたので
「ぇぇ、町の小学校には入れませんよ」というと
「なら、よかった・・・それだけ聞きたかったんです」といい去っていった・・・
いまだったら裁判沙汰ですねこんな発言は・・・
こんな事もありました。
地域の子供会に入れてくださいと頼んだところ
「おたくの娘さんは町の学校に行ってないからダメです」と・・・
をいをい、「地域」の子供会じゃないのか!!!ってね^^;
そんなこんなで、小学部時代は養護学校でうまくいく・・・はずが・・・・
なかなかイイ担任には出会えずに、母子ともどもノイローゼになるような出来事ばかり・・・
娘は登校拒否にあわやなる寸前。
そんなこんなでHPを立ち上げ、教育に対して、障害に対してあまり知られていない事を
みなさんに知っていただこうとネットとともに母親として勉強してきました。
中には教育者さんが訪れて色々相談にものってくれたり、同じ境遇のご家族の方とリアルで会うまで
仲良くなったり、娘の学校以外ではとても充実していたと思います。
マスコミにも結構ださせていただきました。
それを見て公演してほしいとか、話を聞かせて欲しいと依頼もたくさんきました。
それは自分も新しい出来事なのでネットで得た最大の出来事だったかもしれません。
そして新たに自分が悩み疑問に思っていることを調べようと数年もかかりました。
いまだに答えも見付かってません。
これからの人生のほうが長いのでどうしたものかと
思いながら、今が楽しければいいのじゃないかと、結構あっけらかんとしている自分がいます。
娘の心臓病はまだ経過観察中です。
知的な障害もありますが、これから世間にだすにつけて、「他人に自分の意志を伝える」事を重点に
勉強しています。
家での意思の疎通はもうツーカーの中なのでいいけど、自分が通訳にずっとついていられる訳も無く
母子で頑張りどころだと思います。
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