瀬戸内現代パロと見せかけてファンタジー・2 |
■2008.05.15(Thu) 「貴様のことは知っておる」散らばった雑誌だの、服だのを除けて差し向かいに座った元親に、元就と名乗った男は意外な言葉を吐いた。 客人がいらぬと言ったので自分ひとりペットボトルに直接口をつけて茶を飲んでいた元親は、その言葉で動きを止める。その目に何故、という疑問をすぐに捉えた元就はまた口を開いた。 「片目で我らの理を見る男がいる、と、卯月を統べる男に聞いた。会うたことがあるのだろう」 うづき。現代を生きる元親には、月の異名が馴染み薄い。うづきっていつだったかな、と考えかけて、それより心当たりを探った方が早いことに思い至った。 「ああ、もしかして慶次か?」 元就はこくりと頷く。 慶次というのが、元親が咲く花の下で出会った男である。 なるほど、言われてみれば目裏に思い描くことの出来る姿は卯月の精霊と呼ばれるに相応しいものに思われた。確かに暖かくなった陽射しの明朗さと、光る風の快活さ。彼の纏う気は咲き誇る花の華やかさそのものだ。 「派手な男よ」 同じ像を結んでいたのか、ついもらされた元就の一言は端的に四月の精霊の気質を表しているのだろう。見かけのままの人柄、というのは人ではなくとも好もしいものなのか。 彼が四月の精霊だというのならば、次に会うのは来年また花が咲く頃かと思いをはせて、ふと元親は自分の左眼に手をやった。 「何で片目だってわかった?」 今は眼帯をしていない。余計なものを見ないためだけにしているものだから、外した下の目玉の色が違うとか、傷があるとか、外見に特徴はないのだ。それにもかかわらず、元就は片目と断じる。 「先刻、貴様はこちら側から我が近寄ったのに気づかなかったゆえ」 言い終えるより先に、白い腕が伸ばされる。当然その先にあるはずの手の気配が、顔の右側にかかるとふつと消えた。ただ右目ではそういうものが見えないとだけ自認していた元親は、それで初めて死角というものがあることを知る。 「さっきはそれどころじゃなかったからだろ」 「そうではない。我らの姿をとらえるということは、ただ目で見える見えないとは意味が違う。……わかるか」 「?」 「今、我は貴様に触れている。が、わかるまい」 触れていると言われて、反射的にそちらを見ようと首を巡らす前に、今度は逆の手が伸ばされ、左頬に触れた。 「今度はわかるだろう」 元就の言葉の通り、左の頬に触れる手には感触がある。つまり顔を元就の両の手で包まれているわけだが、不可思議にも右の頬にはその感覚がない。 「我らは、見えぬものにとっては存在しないものと同じ。触れることも、意識することもできぬ。ただ、」 言葉を切った元就が切れ長の目をしばし閉じる、その意味はすぐに知れた。右の頬に冷ややかな指先が触れている感覚が生まれる。途端、元就の纏う薫風の気配が鼻先をかすめ、頭の中に描いた光景と感覚がにわかに一致したことに鼓動が跳ねた。 「我らが触れようと思えば、貴様らも感じ取ることができるようになる」 高説を終えた元就の指が、元親の頬に線を描いて引かれる。元就の言葉に誘われるままその曖昧な触覚を追いかけていた元親は、ついその指先を追い――、掴んでしまった。男の姿にしては華奢な指先を、確とした意識で掴んでいる感覚に安堵する、が、掴まれた己の指先を見る元就の視線に気づいて、今度は一人慌てた。何をしているのだ、と。 「離せ、」 身じろいだ元就に抑揚のない声で命ぜられてようやく手を離した。別に警戒されたわけではないだろうが卓の下へ仕舞いこまれた白い手に、後ろめたい気分になって頭を掻く。もう少し触っていたいと思ってしまったなどと、言えるはずもない。 「我のことはもう良かろう。聞きたいことは別にあるのではないのか」 見るからに高潔そうな新緑の精霊は、己の肌の上を欲が滑っていくことなど思いもかけないのだろう、項垂れた元親を放って話を進めようとする。 「あの桜、」 そのきっぱりとした様に咄嗟についていけなかった元親が呆然としていると、苛立ったように口を開いた。 「もう、咲かぬと申しておる」 柳眉が顰められ、言葉の含む苦々しさが滲む苛立ちにぽつりと加えられ、間断なくカーテンを揺らしていた風が、止んだ。 「何をしていたのかと問うただろう。……今しばらくと、あの桜へ説いていた」 「枯れちまうってのか」 「そうだ。芽吹く葉数が命をつなぐに足りぬ。このままでは、今年の冬が越せぬ」 元親の部屋の窓からは、向かいの桜を見ることが出来る。今は夜闇に沈んで見えないが、それを見透かすようにして、元就は体ごと振り返って外を見る。背を向けられて元親から表情は見えず、だが苦渋が言葉に交じっているのはわかった。 「もとより根を張るには不自由な場所ゆえ、弱っていたのは知っていた。ゆえに、少しでも長く、美しく咲けるよう力を尽くしてきた。であるというに、あの木が自ら、もはや咲かぬと申す」 再び元親に向き直った彼の顔は予想に反して冷ややかな無表情だったが、その言葉の苦々しさゆえか元親にはその面差しに、口惜しげな色が映って見えた。 「まだ、枝先には新芽の気配がする。だのにあの桜は葉を開かせようとせぬ」 なぜだ、と、元親に向けられたのでない問いが、耳を刺す。その声の痛々しいまでの鋭さが、「知るか」と元親が突っぱねるのを妨げた。 「頼みがある」 言いたいことを言ったらしい精霊に、どう言葉をかけてよいか考えあぐねれば、それは重い沈黙となり。その重みに項垂れそうになるのを堪えるように、元就が唐突に切り出した。 「我にはわからぬ、なぜあの桜が、未だ命を残しながら自ら終を迎えようとするのか。あれも我には語ろうとはせぬ。ゆえにそなたに問うてほしい」 ひたりと見つめてくる目は真剣そのもの、頼みなどといいながら、断られるとは露ほども思っていない様である。 「そんなん人間に出来るわきゃねぇだろ……」 人でないものを見ることの出来る元親も、木と話したことは一度もない。もしかすると話せるのかもしれないが、試してみたことはないし、何となくではあるが木が人の姿でも取らない限り、その声を聞くことは出来ないような気がした。 見えなければ、触れられないし、意識も出来ない。そう言ったのは元就だ。言葉を持たぬものの姿をしたものの声を、おそらく元親は聞くことが出来ない。 「そうではない。人であるそなたに木の声を聞けなどと、我も言わぬ。そなたに調べてほしいのは、人の営みが、あの木の在り様に関係していないかということ。我らはあれをまだ枯らすつもりはない、とすれば人が何か、あの木に諦念を植えつけているのかもしれぬ」 元親の困惑を見て取って、元就はそう言い足す。けれどそれも彼の理屈で、人の都合はお構いなしだ。元親はたまたまあの木の生えた駐車場の向かいに安い賃料で住んでいるというだけで、木や駐車場の土地それ自体には縁もゆかりもない。そんな人間が他所様の事情を聞きだそうと思えば手間は必至だというのに、さも容易いことのように精霊は言う。 「あんた、そのためにのこのこついてきたんだな?」 「そうだ。人の身では本来触れ合えぬ性のものと対話し、しかも人の身から外れた己の能力の一端を知ることの出来た見返りに。いまさらできぬなどと言わせぬ」 「どういう理屈だよそれは……」 言いつける様に遠慮も何もあったものではない。確かに元就が何をしていたのか知りたがったのは元親だが、左目のことを教えてくれと頼んだ覚えはない。 だががっくりと肩を落とした元親を、どうやらこの精霊は見逃がしてくれる気はないようだ。 せっかくアルコールが去って軽くなったはずの頭がまた重くなり、もてあましながらそれを持ち上げた元親が、是というまではとじっと見つめてくる。 「……条件がある」 結局、この場を逃げ遂せる上手い手など見つからず、苦し紛れに指を立てた元親の提案に、元就は目を丸くした。 |
LOG | 2008. | 04. 05. |