*初恋クレイジー*
五月十一日、日曜日。
海堂薫、十四歳の誕生日。
その日は五月晴れは何処に行ってしまったのかというようなあいにくの雨で。
誕生日だからと特別浮かれるような海堂ではなかったが、それでもせっかくの誕生日にこんな天気ではやはり気が晴れない。
厚く暗い雲はどこまでも空を覆っている。
誕生日祝いに、と両親は新しいシューズを買ってくれると言う。
あまり高価なものは敬遠した結果テニスシューズに落ち着いたのだが、足に合わないのだったら別に誕生日ではなくても買い替えてあげられるのに、と遠慮深い息子に両親はほんの少し苦く笑った。
しかしプレゼントとは言っても両親が適当に選んでこられるような物ではない。
練習中にぽろっとそのことを乾にこぼしたところ、アドバイスをしてくれると言う。
こんな時、乾ほど頼りになる人間を海堂は知らない。
待ち合わせは十時。時を追うにつれて雨は激しくなるばかりで自然足元にも気を使う。
少し余裕を持って家を出てきたのは正解だ。
雨音に紛れてか細い鳴き声が聞こえる。
足を進めていくと街路樹の根元に一匹の子犬がいた。
誰かを待っているのか、雨に打たれたまま佇む子犬。
足元には泥混じりの小さな水たまりが出来ている。
風邪ひくぞ、と海堂が抱き上げようとしてもその小さな前足で抵抗してそこから動こうとしない。
その頑さが少しだけ自分と重なる。
このまま見過ごすことはどうやら自分には出来そうもない。
「仕方ねえな……」
足元に気をつけながら待ち合わせの場所まで走る。
傘を先程の子犬にプレゼントしてしまった海堂はびしょ濡れで、服もすっかり水を吸って重たく冷たく体にまとわりついた。
遠くからでも分かる長身がアーケードの下に所在なく立っている。
傍らに走り込むと同時に声をかけた。
「おはようございます。待たせてスイマセン」
「いや、今来たところ……」
振り返った乾が言葉を途中で切って眉を顰めた。
「傘はどうしたんだ」
まさか犬にあげてきたとは言えず黙り込んだ海堂の頬を乾の大きな手が包む。
手のひらは暖かかった。
「冷えきってるじゃないか。今日の買い物は中止だな」
「え!」
落胆する海堂をよそに、乾は有無を言わせぬいつもの口調で今日の予定を塗り替えていく。
「とにかく服を着替えるのが先だな。俺の家の方が近いから、とりあえず来い」
「ほら」
アーケードを抜けた所で乾が自分の傘を差し掛けて来た。
「もう今更良いッスよ」
そう言って柄を押し返す。
頭から爪先まで、濡れていない所ははっきり言ってもうない。
これ以上濡れた所で大差はなかった。
「そうは言ってもな、海堂……」
「先輩が濡れるッス」
ただでさえ背の高い乾と、彼には及ばないものの平均以上の海堂。
一人でも窮屈そうな傘に二人で入ったらどうなるか、結果は火を見るより明らかだ。
これで乾が風邪をひいてしまったら本末転倒ではないか。
隣で乾がため息をつく気配がしたが黙殺して歩き続ける。
「じゃあもっとこっちに寄って?」
「!」
急に肩を引き寄せられる。
乾の胸にもたれるような形になり、慌てて突き放した。
手を付いた辺りが湿ってしまっている。
「……スイマセン。でも、俺、先輩に風邪ひかれると困るッス」
咄嗟に乱暴な反応を返してしまい狼狽えた海堂を見て、乾は口許を緩めた。
「分かった。それならとにかく急ごうか」
「ッス」
納得したらしい乾は今度は急に駆け出した。
「おいで、海堂」
その声に促されるように海堂も乾の後を追って、未だ止む気配を見せない雨の中を走り出した。
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