どうしてこんなことになってしまったのか。
 ドライヤーの温風を髪に受けながら海堂は考えていた。

 普段ドライヤーを使わない海堂がぎこちない手付きで髪を乾かし始めると、見兼ねたように乾が海堂からドライヤーを攫って髪を乾かし始めたのだ。
 抵抗は示したものの上手く言いくるめられて結局海堂の髪は乾の手の中にある。

 ある程度タオルで水気を取っておかないとなかなか乾かないよ、と再びタオルで頭をかき回して、そうして今度はドライヤーの風を当てながら直に手で髪に触れてくる。
 床に座り込んで乾のベッドに寄り掛かった海堂の両脇にはベッドに腰掛けた乾の足が放り出されている。

「人に乾かしてもらうと何だか眠たくならないか?」

 髪を手で梳きながら乾が問う。

「居心地悪ぃッス」

 先程から耳に当たる温かい風がくすぐったくて堪らない。
 身体が温まって血行が良くなっていたせいなのか、鋭敏なようでどこかぼやけた神経は温風に煽られて熱を増していく。

「なんかくすぐってぇし」

 そう言った途端乾の指が妙に火照った耳の輪郭を掠めていった。

「ッ! アンタわざとやってねえッスか 」

「偶然だよ」

 飄々と言ってのけられると返す言葉がない。
 意識し過ぎている自分が急に恥ずかしくなり海堂はうつむいた。

 それもこれも乾が構ってくるのが悪いのだ。
 普段から乾はやたらと海堂に構う。
 確かに海堂は乾に体力強化のメニューを頼んでいるからその調整について話があるのはやむを得ない。
 しかし最近は何故か自主練中に現れたりと海堂を困惑させてばかりだ。
 もしかして自分のデータを信用してもらえるのが嬉しかったりするのだろうか。

 そして今日も。
 シューズを見てもらう、ただそれだけの筈だったのに。

「訳わかんねぇ……」

 声に出したつもりはなかったのだが乾は聞き逃さなかった。

「何が?」

「……アンタが」

 何となく観念したような気持ちで海堂は正直に申告した。

「そうかな」

「なんでこんな、人の髪乾かしたりとか」

「誕生日くらい甘やかしてもらうのも良いでしょ?」

 サラリととんでもないことを言われて海堂は慌てて振り返った。

「そんなガキじゃねえッスよ!」

 もう中二の、しかも十分身体も大きい男を甘やかすだなんて。
 そんな子供に思われていたなんて心外だ。

「中学生なんてまだまだ子供だよ」

 乾は口許に笑いを滲ませながら、それに、と続ける。

「優しい子にはご褒美。傘の相手は犬かな?」

「っ! なんで?」

 乾が見ていた筈はない。

「服に足跡が付いてたよ」

 驚きに目を見開いたままの海堂を見据え、ひとつため息をついて乾は言葉を続ける。

「優しいのは良いことだけど、風邪なんかひいたら元も子もないだろ?」

 そう言って向かい合ったままうつむいてしまった海堂の頭をポンポンと軽く叩いた。

「海堂はね、もっと自分を大切にした方が良い」

 優しく諭すように言われて更に海堂はうつむいた。
 不本意ながらも反省気分で黙り込む。
 けれど徐々にその言葉が、その言い方が、海堂を逆撫でていく。

「アンタだって……」

「何?」

 海堂の中で何かが切れた。

「アンタだってレギュラーから落ちたっていうのに人にばっか構ってんなよ! もっと自分の為に時間使えよ! 練習見てくれんのは助かるけど、俺は……」

 口走っている内容に気付き海堂の勢いはだんだん鈍くなっていく。
 しかしそれでも最後の本音をさらけ出した。

「……アンタが戻ってくる方が、ずっと嬉しいッス」

 そう、本当は。

 三戦三敗。
 ずっと背中を見ていた。
 いつか追い越すとそう決めていた。
 試合に勝てたのは嬉しい。
 自分を相手に油断していたとも思っていない。
 だからこの勝利は喜んでいい筈だ。
 だけど。
 今まで追い掛けていた背中が急に見えなくなったのが怖かった。
 メニューを頼んで、以前より一緒に居る時間は増えているのに妙に心もとなくて。
 また背中を見たいわけじゃない。
 出来ることなら隣がいい。
 乾の隣で一緒に前を見据えていきたい。

「海堂……」

 乾の声に微妙な驚きとも困惑ともつかない色が滲む。

 今度こそ恥ずかしくて顔が上げられない。
 本当はそのまま背も向けてしまいたい所だ。

 海堂の髪を弄んだまま乾は言葉を紡ぐ。

「ありがとう。でも、大丈夫だ。俺が抜かりないのは知ってるだろう? 絶対に戻るさ」

 そのまま海堂の耳元に顔を寄せ「100%だ」と囁いた。
 首筋まで赤く染めた海堂に微笑む。

 ぶかぶかと体に合わない乾の服のように海堂の気持ちは落ち着かない。
 心臓が暴れすぎて頭まで痛くなってきた。
 血の巡りがどこか狂ってしまったのではないかという気さえしてくる。
 どうしてこんなにドキドキしているのか自分でもよく分からない。

 そうだ、と何かを思い付いたように乾が呟いた。

「海堂、こっちのプレゼントも受け取ってくれるかな」

 そう言われて海堂はようやく顔を上げた。

 その瞬間を見計らい、乾は脇に置いていたタオルを海堂の首に掛けるとそのまま両端を引き寄せた。

 そっと、くちびるが触れ合う。

 くちびるは触れ合わせたままに乾の腕が海堂を絡め取った。

 乾はそれ以上の侵食はせず、くちづけたままひたすら海堂を抱きしめた。






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